朝鮮王朝おもしろ人物列伝(19代王・粛宗編)

おもしろ人物列伝
ドラマ『トンイ』ではチ・ジニが粛宗を演じていた
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粛宗が引き起こした女性問題

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ドラマ『トンイ』では粛宗が思慮深い王として描かれていた

張禧嬪との子供を後継者にした粛宗は、1689年4月21日に「仁顕王后を廃妃にする」と言った。この王命には誰もがビックリしただろう。周りの高官たちは当然のごとく大反対した。しかし、粛宗はそれをすべて無視して仁顕王后の廃妃を強行して、空席となった王妃の座に張禧嬪を就けた。

身分の低い女性が王妃になることは基本的にありえない。そういう意味では張禧嬪はまさに栄華をつかみ取ったと言ってもいいだろう。彼女が王妃となったことで、息子が世子(セジャ)になった。夫である粛宗の力を使えば当時の張禧嬪に不可能はなかったが、人生はそう甘くはなく、彼女はここからだんだんと落ちぶれていくのである。




最初は張禧嬪のことをかなり寵愛していた粛宗だが、次第にその愛は冷めていった。しかし、最高の幸せを手に入れて有頂天となっていた張禧嬪はそのことに気付かなかった。そこに現れたのが、韓国時代劇『トンイ』の主人公で知られる叔嬪・崔氏(スクビン・チェシ)で、粛宗は彼女を愛するようになった。

1694年、粛宗は仁顕王后を再び王妃の座に戻した際に張禧嬪を側室に降格させてしまうが、彼女には自分が産んだ長男が世子となっているという強みがあった。「息子が王になれば、また栄華を手に入れることができる」と思い、その日を期待して待っていた張禧嬪にさらなる衝撃が走る。淑嬪・崔氏が粛宗との子を産んだのだ。(ページ4に続く)

〔特集〕張禧嬪(チャン・ヒビン)が粛宗(スクチョン)の心を奪った日々!

〔特集〕張禧嬪(チャン・ヒビン)が粛宗(スクチョン)の心を奪った日々! | 韓国時代劇アンニョン
1680年の秋、19代王・粛宗(スクチョン)は女官だった張禧嬪(チャン・ヒビン)の美貌に目を見張った。この年には粛宗の最初の正妻だった仁敬(インギョン)王后が亡くなっているが、粛宗の心はすでに張禧嬪しか見えていなかった。

〔物語〕もし粛宗(スクチョン)が現代に甦ったら何を語る?

〔物語〕もし粛宗(スクチョン)が現代に甦ったら何を語る? | 朝鮮王朝オッテヨ
生没年は1661年~1720年。1674年に19代王として即位。政治的な業績も多かったが、女性問題でよくトラブルを起こして王宮内を混乱させた。1689年に、仁顕(イニョン)王后を離縁して、側室だった張禧嬪(チャン・ヒビン)を王妃に昇格させて...

粛宗(スクチョン)の母が張禧嬪(チャン・ヒビン)を王宮から追い出した!

粛宗(スクチョン)の母が張禧嬪(チャン・ヒビン)を王宮から追い出した! | 朝鮮王朝オッテヨ
1680年、張禧嬪(チャン・ヒビン)が女官として宮中に入ってくると、その美貌がたちまち評判となって粛宗の目にとまった。そのとき、粛宗が19歳で、張禧嬪が21歳になっていた。

粛宗(スクチョン)は張禧嬪(チャン・ヒビン)を死罪にするとき何を語ったか

粛宗(スクチョン)は張禧嬪(チャン・ヒビン)を死罪にするとき何を語ったか | 朝鮮王朝オッテヨ
一度は廃妃になりながら1994年に王妃に復帰した仁顕(イニョン)王后だったが、長く病に苦しみ1701年8月14日に亡くなった。その後に張禧嬪(チャン・ヒビン)が仁顕王后を呪詛(じゅそ)していたことが発覚し、粛宗(スクチョン)は激怒した。

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