中宗(チュンジョン)はどんな国王だったのか【悲劇】なぜ端敬王后を見捨てたのか

歴史重要人物
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朝鮮王朝の11代王だった中宗(チュンジョン)といえば、韓国時代劇の傑作『宮廷女官チャングムの誓い』で俳優のイム・ホが演じていた。このドラマの中で中宗は、とても物分かりがいい国王として描かれていた。『宮廷女官チャングムの誓い』の影響で、彼は好感度が高い国王になったかもしれない。

史実で中宗はどんな国王だったのか。詳しく見て行こう。

1488年、朝鮮王朝の王室に一人の男児が生を受けた。のちの11代王となる中宗である。幼名は晋城大君(チンソンデグン)という。父は9代王・成宗(ソンジョン)で母は貞顕(チョンヒョン)王后。異母兄は暴君として悪名が高かった燕山君(ヨンサングン)である。

燕山君の治世は暗黒そのものであった。彼は国の政務を完全に放棄した。日夜を問わず酒宴を開き、己の欲望の赴くままに生きたのである。国家の財力はまたたく間に底をついた。そのしわ寄せは、すべて力の弱い庶民へと向かう。重い税が課せられ、人々の生活は困窮を極めた。社会には怒りと悲しみが満ち溢れる。いつ暴動が起きてもおかしくない空気が国中を覆っていた。晋城大君は兄の粛清をただ恐れ、息を潜めてやり過ごすしかなかった。

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突然の政変と妻の機転

1506年、ついに歴史が動く。国家の私物化に耐えかねた高官たちが、密かに立ち上がったのだ。燕山君を王座から引きずり下ろすための大規模なクーデターが起こった。しかし、単なる武力行使では逆賊の汚名を着せられる危険があった。首謀者たちには、誰もが納得する大義名分が必要であった。そこで白羽の矢が立ったのが、王の異母弟である晋城大君だ。彼らは新しい王として晋城大君を担ぎ上げる計画を練った。むろん、当の本人には何の相談もなかった。

決行の夜。反乱軍は二つの部隊に分かれて行動を開始した。一方は燕山君を討つ主力部隊。もう一方は、次期国王となる晋城大君を確保する部隊である。

深夜、晋城大君の邸宅は武装した兵士たちに完全に包囲された。外の異変に気づいた彼は絶望する。「ついに兄上が自分を殺しに来たのだ」と思い込んだのである。もはや逃げ道はない。彼は屈辱的な死を避けるため、自ら命を絶とうと覚悟を決めた。

その時、パニックに陥る夫を止めたのが妻だった。彼女は極限状態にあっても冷静さを失わなかった。外の様子を注意深く観察し、ある事実に気がつく。

「兵士たちは屋敷を取り囲んでいるだけで、一向に中へ攻め込んでくる気配がありません。我々を殺すための軍勢ではないはずです」

この聡明な妻の分析が、間一髪で夫の命を救ったのである。

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独裁体制の崩壊と予期せぬ即位

やがて屋敷に招き入れられた兵士たちは、大君の前にひれ伏した。彼らはこれまでの経緯を説明し、新しい国王になってほしいと懇願する。しかし、晋城大君は首を縦に振らなかった。玉座の恐ろしさを誰よりも知っていたからである。

その頃、もう一方の主力部隊は王宮に突入していた。通常であれば、近衛兵たちが命がけで防衛にあたるはずである。だが、現実は違った。誰も剣を抜こうとはしなかったのだ。それどころか、武器を捨てて次々と逃亡を図る有様であった。

反乱の知らせを受けた燕山君は、激しい恐怖に襲われた。かつて彼にへつらっていた側近たちも、「外の状況を確認してまいります」と言い残し、誰一人として戻ってこなかった。権力を笠に着て暴虐の限りを尽くした男の最後は、あまりにも惨めで孤独なものであった。反乱はあっけなく成功し、燕山君は王の地位を剥奪されて流罪となった。

残された課題は、即位を固辞する晋城大君の説得である。クーデターの成功者たちは、執拗に大君に迫った。

「ここで立たねば国が滅びます」

度重なる説得によって、ようやく晋城大君は折れた。こうして彼は11代王・中宗として即位した。

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権力闘争の犠牲となった夫婦

玉座に就いた中宗は、兄が破壊した国家の秩序を取り戻そうと尽力した。しかし、彼の権力基盤は極めて脆弱であった。自らの意志で王になったわけではなく、臣下たちによって「作られた王」だったからだ。実権はクーデターを主導した重臣たちが握っていた。中宗は彼らの顔色を伺いながら政務を行うしかなかった。

そんな中、致命的な政治問題が浮上する。中宗を死の淵から救った最愛の妻、端敬(タンギョン)王后の存在である。実は彼女の父親は、燕山君の最側近として権勢を振るった人物であった。燕山君派を一掃した重臣たちにとって、旧体制の血を引く彼女が王妃の座にいることは許しがたい事実だった。

重臣たちは中宗に強く要求した。

「ただちに王妃と離縁してください」

これまで従順だった中宗も、これには激しく抵抗した。「妻には何の罪もない」と明確に反対の意思を示したのだ。しかし、権力を持たない王の叫びなど、彼らには届かなかった。結局、中宗は離縁を受け入れるしかなかった。

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赤いチマの伝説

その後、中宗の心の中から端敬王后の面影が消えることはなかった。日を追うごとに、離れ離れになった妻への未練は募っていく。

やがて中宗は、ある行動に出た。広大な王宮の中で最も見晴らしの良い場所に登り、端敬王后が暮らしている家の方向を、いつまでもただ静かに見つめるようになったのだ。

切ない国王の姿は噂となり、市井の人々を通じて端敬王后の耳にも届いた。夫がいまも自分を想い、遠くから見守ってくれている。その事実に深く胸を打たれた彼女は、夫への返礼を思いつく。

彼女は、自分が愛用していた鮮やかな赤いチマ(スカート)を取り出した。そして、中宗の視界に入る山の巨大な岩の上に、そのチマを広げて掛けたのである。

「私はここで元気に生きています」

それは、遠く離れた夫へ向けた声なき愛のメッセージであった。

政治という非情な力によって引き裂かれた2人の絆は、決して切れることはなかった。端敬王后がチマを掛けた岩は、いつしか人々から「チマ岩」と呼ばれるようになった。この美しくも悲しい純愛の記憶は、「チマ岩の伝説」としてその後も語り継がれた。

写真=MBC

文=康 大地(こう だいち)

この記事を書いた人
康大地

2008年から韓流専門誌で執筆と編集を長く担当。特に『愛してるっ‼韓国ドラマ』誌において、韓国ドラマのレビュー、韓流イベントの取材、歴史人物解説記事の執筆などに取り組んできました。現在は韓流サイト『ロコレ』で企画・取材・執筆・編集を精力的に行っています。韓国ドラマ以外の趣味は居酒屋めぐり、温泉探訪、妖怪研究などです。

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