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タグ:紀行
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夏休みに初めて韓国に行く人のための「韓国なるほど入門」(後編)
今回は、韓国についてまだよくわからない人のために、韓国という国の基本的なことを説明する記事を掲載している。前編では、言語、交通機関、食事、酒、歴史について触れたが、後編ではさらに話題を広げてみ… -
夏休みに初めて韓国に行く人のための「韓国なるほど入門」(前編)
日本から一番近い隣国の韓国。果たして、どんな国なのだろうか。まだよくわからない人のために、韓国という国の基本的なことを説明してみよう。夏休みを利用して初めて韓国に行く場合に、特に知っておいたほ… -
日本のコリアをゆく(静岡・清見寺編2)
1607年、江戸時代に初めて来日した朝鮮通信使には、徳川家康に朝鮮国王の国書を渡すという重要な任務があった。彼ら一行が江戸をめざして東海道を進んで浜松に至ったとき、2年前に将軍職を息子の秀忠に譲った家… -
日本のコリアをゆく(静岡・清見寺編1)
広島の鞆の浦にある福禅寺からの眺めは、朝鮮通信使が「日東第一形勝」と絶賛していた。同じく朝鮮通信使が「東海の名勝」と称賛したのが、清見寺(せいけんじ)から見た駿河湾の景観だった。今はかなり風景が変わっ… -
日本のコリアをゆく(百済寺跡・鬼室神社編3)
百済(ペクチェ)の復興をめざした軍の中で、トップ2の豊璋と福信が内紛を起こした。結局、福信を殺した豊璋はすべての権力を自分のものにしたのだが、軍事的な指導者を失った百済復興軍の痛手は大きかった。そのこ… -
日本のコリアをゆく(百済寺跡・鬼室神社編2)
時は660年である。百済(ペクチェ)の義慈(ウィジャ)王は、在位が長くなって堕落した。そんな王のもとで国力が衰えるのも仕方がなく、新羅(シルラ)・唐の連合軍が攻めてきたときに、百済はなすすべがなかった… -
日本のコリアをゆく(百済寺跡・鬼室神社編1)
百済王神社に向かう 大阪と京都を結ぶ京阪電車。 車窓からの景色もよく、私(康熙奉〔カン・ヒボン〕)が好きな私鉄の一つだ。 その京阪電車の特急に大阪市内の京橋駅から乗って京都方面に向かうと、最初の… -
日本のコリアをゆく(広島・鞆の浦編3)
鞆の浦の繁栄 1719年、第9回目の朝鮮通信使に製述官として同行した申維翰(シン・ユハン)は、のちに『海游録』という書物を残している。 その翻訳版は、平凡社東洋文庫(姜在彦訳注)に収められていて、それを読むと… -
日本のコリアをゆく(広島・鞆の浦編2)
「日東第一形勝」 今でも日本の各地に朝鮮通信使の足跡が残っているが、その中でも鞆の浦の福禅寺は特に重要である。なぜなら、一行はここから見た瀬戸内海の景観を愛し、様々な書を残しているからだ。 その文面か… -
日本のコリアをゆく(広島・鞆の浦編1)
台地の上の福禅寺 私は30代半ばに大学で歴史を学んだとき、卒論で朝鮮通信使の研究をした。その際、江戸時代の鎖国体制を以前から間違って捉えていたことを察した。 それまでは、長崎で限定的にオランダと貿易を…