日韓

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コラム

韓国は日本のW杯16強をどう伝えたか

FIFAワールドカップのロシア大会で、韓国は決勝トーナメントへの進出を逃したが、世界王者のドイツを2-0で破って世界を驚かせた。一方の日本は、グループリーグの最終戦でポーランドに0-1で敗れたが、かろうじて16強に残った。このことを韓国メデ...
コラム

2万2千対90!日韓で老舗の数がこれだけ違う理由

「朝鮮日報」の記事によると、韓国で100年以上続けて営業している老舗はわずか90しかないという。その一方で、日本では100年以上続く老舗が2万2千以上もあるそうだ。なぜ、日韓でこれだけの違いが出たのか。老舗が多い日本日本は2万2千で、韓国は...
コラム

韓国は日本のW杯勝利をどう伝えたか

6月19日、FIFAワールドカップ・ロシア大会の1次リーグで日本はコロンビアに2-1で勝った。前回大会は1勝もできなかったので、2大会ぶりの勝利となったが、韓国は日本の勝利をどのように伝えただろうか。南米に勝った意義韓国は、今回のワールドカ...
日韓/韓国の歴史

明治維新150年!当時の日韓関係は?

1867年10月、徳川幕府は朝廷に大政を奉還。これによって、264年間続いた徳川幕府が終焉した。しかし、翌年の1月3日に薩摩・長州軍と旧幕府軍が鳥羽・伏見で武力衝突して戊辰戦争が始まった。新しく誕生した明治政府は戊辰戦争に勝ち、国内を平定し...
コラム

それぞれが面白い!日本と韓国

日本人が韓国人を見ると、あまりに自分を主張しすぎると思え、韓国人から見ると日本人は相手に配慮しすぎると感じる。日本人と韓国人は、顔がよく似ているが、日常生活の各場面においては習慣に違いがある。そのあたりを理解して付き合えば、誤解を未然に防げ...
日韓/韓国の歴史

日本との外交を憂慮した申叔舟(シン・スクチュ)の遺言!

申叔舟(シン・スクチュ)は15世紀の朝鮮王朝で官僚トップになった人物だった。日本に行った経験もあり、当時の朝鮮王朝で誰よりも日本のことをよく知っていた。そんな彼は臨終のときにどんな言葉を残したのか。1443年に来日した申叔舟1392年に誕生...
日本のコリアを行く

日韓歴史探訪!高麗神社

現在の高麗神社がある地域は、かつては朝鮮半島からの渡来人が多く住む高麗郡だった。もともと、8世紀前半に渡来人が関東一円に多かったのだが、最も大規模な移動が朝廷の政策によって実行された。それは716年のことだった。1799人の高句麗人716年...
日韓/韓国の歴史

〔総集編〕韓国はなぜ日本の植民地になったのか

先に「韓国はなぜ日本の植民地になったのか」という記事を前編・中編・後編の3回に分けて掲載しました。今度はそれを〔総集編〕として1回にまとめ、改めて掲載します。「19世紀の半ばから朝鮮半島がどのように日本の介入を受けたのか」ということを時系列...
韓国の近現代史

韓国は日本の植民地時代をどう生きたのか(後編)

1926年には、朝鮮王朝最後の王だった27代王・純宗(スンジョン)が亡くなりました。6月10日に国葬が行なわれましたが、その際に「独立万歳」を叫んだ学生たちと日本の官憲が衝突しました。再び抗日運動が激化したのです。大韓民国臨時政府1929年...
韓国の近現代史

韓国は日本の植民地時代をどう生きたのか(前編)

1910年8月22日、日本と大韓帝国の間で「日韓併合ニ関スル条約」が調印されました。この条約は8月29日に公布され、同時に、518年続いた朝鮮王朝が滅亡しました。朝鮮半島に朝鮮総督府が置かれるようになり、日本の植民地統治が始まりました。朝鮮...
韓国の近現代史

韓国はなぜ日本の植民地になったのか(後編)

閔氏(ミンシ)亡きあと、朝鮮王朝には親日政権が誕生しました。しかし、1896年2月に高宗(コジョン)はひそかに王宮を脱出してロシア公使館にたてこもり、親日派の高官たちを次々に処罰しました。以後、朝鮮王朝はロシア寄りの政治姿勢を鮮明にしたので...
韓国の近現代史

韓国はなぜ日本の植民地になったのか(中編)

日本の朝鮮半島への介入において、先兵のように動いたのが軍艦の雲揚号でした。この雲揚号が1875年9月に、朝鮮王朝の国防の拠点とも言える江華島(カンファド)の沖で挑発的な行動を取りました。朝鮮王朝側も応戦し、局地的な軍事衝突が起きました。これ...
韓国の近現代史

韓国はなぜ日本の植民地になったのか(前編)

朝鮮王朝は1392年に建国されてから518年間続きましたが、1910年に滅亡しています。それは、朝鮮半島が日本の植民地になったからです。そこに至るまでには、どういう経緯があったのでしょうか。3回にわたって取り上げていきます。平和的な善隣関係...
韓国情報

文在寅大統領に「日韓関係の改善」を期待する

新しく船出した文在寅(ムン・ジェイン)政権。取り組むべき課題は山積しているが、その1つが日韓関係の改善である。保守政権時代の9年間で悪化した両国の関係を新しい政権がどのように立て直そうとするのか。今後の文在寅大統領の動向に注目したい。悪夢の...
日韓/韓国の歴史

儒教は歴史的に日韓でどう浸透したのか

歴史的に見ると、徳川幕府も朝鮮王朝も儒教を社会倫理の根幹として受け入れ、社会制度の中に組みこんでいた。特に、儒教の中でも名分を重んじる朱子学が中心であった。ただし、世間に浸透する深みには日本と朝鮮半島で違いがあった。江戸時代の儒教徳川幕府は...
コラム

康熙奉(カン・ヒボン)の「日韓が忘れてはいけない人15」

第15回/日延(後編)26歳のときに誕生寺の貫主となった日延。その功績は大きかった。祖師堂を建立したことでも知られており、誕生寺の宝物館に行くと、今でも祖師堂を建立したときに日延が書いた棟札(むねふだ)が残っている。日付は、寛永5年(162...
コラム

康熙奉(カン・ヒボン)の「日韓が忘れてはいけない人14」

第14回/日延(前編)JR外房線の安房小湊駅で降りると駅前に人影はまばらで、タクシーが列をなして客を待っていた。時期は7月の第2週目であった。あと1週間もすれば子供たちも夏休みとなり、大勢の海水浴客が訪れることだろう。しかし、今は訪れる人も...
コラム

康熙奉(カン・ヒボン)の「日韓が忘れてはいけない人13」

第13回/若光(後編)JR大磯駅の東側2キロメートルのところにある高来(たかく)神社。鎌倉時代から格式がある大寺として知られ、源頼朝の政子夫人も安産祈願をしたという記録が残っている。ここはかつて高麗(こま)寺と呼ばれていた。大磯に上陸した若...
コラム

康熙奉(カン・ヒボン)の「日韓が忘れてはいけない人12」

第12回/若光(前編)666年のことである。朝鮮半島の高句麗(コグリョ)から外交使節が来日して、日本の朝廷に依頼書を差し出した。彼らは、何のために日本に来たのか。救援の軍勢を送ってほしいと頼みに来たのである。高句麗の滅亡7世紀の朝鮮半島。長...
コラム

康熙奉(カン・ヒボン)の「日韓が忘れてはいけない人11」

第11回/布施辰治(後編)日本国内で朝鮮半島出身者の弁護に精を出す中で、布施辰治は植民地下の朝鮮半島に何度も渡っている。1923年には独立運動家を弁護するために朝鮮半島に行っているし、以後も1926年、1927年と現地に入り、法廷弁護、事件...
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