廃妃になった女性たちの物語

このエントリーをはてなブックマークに追加

 

朝鮮王朝の法律に沿って国王が決定したように、王妃もまた厳格な法を適用されて決められていた。それだけに、王妃を廃妃にするのは容易ではないのだが、実際には多くの王妃が廃妃になっている。




同情を集めた廃妃

廃妃となった主な王妃を見ていこう。
不運なのは、夫がクーデターで王位を追われたことで廃妃になったケースだ。
10代王・燕山君(ヨンサングン)の正妻だった慎(シン)氏、15代王・光海君(クァンヘグン)の正妻だった柳(ユ)氏が該当する。
彼女たちには尊号が贈られていないので、歴史的にも「廃妃・慎氏」「廃妃・柳氏」としか呼ばれない。
よって、“廃妃”という形容が永久についてまわる。
理不尽な形で廃妃となったのは、11代王・中宗(チュンジョン)の最初の正妻だった端敬(タンギョン)王后だ。
本人に落ち度はまったくなかったのだが、彼女の叔母が燕山君の正妻だった慎(シン)氏であり、父親も燕山君の側近だったことから、クーデターを成功させた高官たちから警戒された。




その末に、中宗が望んでいないのに、高官たちによって廃妃が決められてしまった。庶民から同情を多く集めたのも当然のことだ。
この端敬王后は時代劇『七日の王妃』のヒロインになっている。
(ページ2に続く)

朝鮮王朝おもしろ人物列伝(廃妃・尹氏編)

朝鮮王朝おもしろ人物列伝(仁顕王后編)

『七日の王妃』の端敬(タンギョン)王后を物語る赤いチマ岩の伝説とは?

ページ:

1

2

関連記事

  1. 史実の『トンイ毒殺未遂事件』はどのように起こったのか

  2. 天才的だった安平大君のエピソード!

  3. 「朝鮮王朝三大悪女」の出世物語

  4. 英祖(ヨンジョ)はどんな国王だったのか

  5. 『不滅の恋人』歴史解説!首陽大君は安平大君をなぜ死罪にしたか

  6. トンイ(淑嬪・崔氏)はどんな女性だったのか

  7. 英祖と思悼世子の親子関係の正体4「息子を餓死させた英祖の後悔」

  8. 仁粋大妃(インステビ)の人生は何だったのか

  9. 安平大君(アンピョンデグン)はどういう人物だったのか

PAGE TOP