済州島(チェジュド)は南海の孤島なので、天候が変わりやすい。この日も、晴れていたかと思うと急に小雨が降ってきた。「傘がなくて困るけど、このまま飲んでいよう」。そう覚悟を決めた途端、あっさり雨はやんだ。うれしい拍子抜けだ。娘の機嫌も直りそうもないので、私は重たい腰を上げた。猫も敏感に察したのか、すぐに違う客のほうに行ってしまった。
母の実家
駐車場まで歩くと、そこには数軒の常設店があり、それなりに客も入っていた。その駐車場で西帰浦(ソギポ)に戻るためのタクシーを待っていたが、一向に現れない。仕方がないので、そばの土産物屋に聞きに行くと、店頭にいた若い女性が「まかせといて!」という頼もしい雰囲気で、タクシーを携帯電話で呼んだ。
お礼のつもりでジュースとみかんを買い、5分後に来たタクシーに乗った。
車に揺られていると、気分よくマッコリの酔いがまわってきた。北の方向には、漢拏山(ハルラサン)がよく見える。
「ウェドルゲから西帰浦に行く途中から見る漢拏山が一番いい姿をしているよ」
タクシーの運転手さんがそう言った。
富士山のように美しい曲線の裾野こそないが、漢拏山は峻険な頂上を持った勇壮な名山である。済州島に住む人々が常に信仰の対象として崇めてきただけあって、思わず拝みたくなるような神々しさがあった。
それから、西帰浦の旧市街にある母の実家に挨拶に行った。
といっても、母の一家はほとんどが戦前に日本に来てしまっているので、実家を守っているのは母の甥だけだ。長身で痩せた70代の人で、食堂を経営しながら一族の墓を守っている。
「たくさん食べていってくれ。アンタの母さんには本当に世話になったよ」
母の甥は自分が経営する食堂で私を饗応してくれた。
墓守という手間がかかることだけ済州島の親戚に押しつける形になってしまって、申し訳ない気持ちだった。出された料理を無邪気に食べる気にはならなかったが、時間が経つにつれていつものお調子者になり、ビールの空き瓶が次々と増えていった。さらに、平目の刺し身まで出てくると、酒の勢いが止まらなくなった。
けれど、客が徐々に席を埋めるようになり、ようやく我に返った。
深々と頭を下げて礼を言い、母の実家を辞した。酔い醒ましに散歩して、街の風景を楽しんだ。
(次回に続く)
文=康 熙奉(カン・ヒボン)