和平を望んだ家康
「豊臣家の内紛にかこつけて政権を横取りした」
それが当時の日本人の率直な心情であったことだろう。
「幕府を磐石にするためにも正統性がほしい」
そう願った家康が着手したのが朝鮮王朝との関係修復だった。
彼にしてみれば、国内が磐石でないときに隣国とこれ以上もめごとを起こしたくなかった。さらに前向きに考えれば、朝鮮王朝と和平を結べば、徳川幕府が外国から正式な政権として認められることを意味していた。これこそがまさに“正統性”だった。
家康の意向をくんだ対馬藩は、それまで以上に熱心に朝鮮王朝に働きかけた。
「家康が相手であれば関係修復を考えてもいい」
徐々に軟化し始めた朝鮮王朝では、僧侶の惟政(ユジョン)を派遣して日本側の真意をさぐってみることにした。
惟政は松雲大師とも称されたが、能力的にも卓越した外交僧だった。戦乱時には加藤清正と何度も交渉を行なった経験があった。
1604年12月、京都を訪れた惟政は伏見城で家康に面会した。そのときの家康は「朝鮮王朝との和平を強く望む」と明言した。惟政は好印象を持ち、そのことを帰国後に国王に報告した。
(次回に続く)
文=康 熙奉(カン ヒボン)