日韓の二千年の歴史18/和議の提案

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衝撃を受けた豊臣軍

明の軍勢が再び南に向かって進撃を開始した。
1593年3月、いよいよ漢陽をめぐる決戦が近づいた。明の総司令官だった宋応昌は、熱くなる一方の兵士を冷静に見つめながら、効果的な戦術に思いをめぐらせていた。彼はついに決断し、豊臣軍の食糧を一気に断つために、漢陽の南にあった貯蔵米の倉庫を焼き討ちにした。
豊臣軍は衝撃を受けた。残しておいた2カ月分の食糧の大半を失ってしまったからである。




この機をとらえて明の将軍・沈惟敬は、小西行長に対して和議を打診した。
「もうすぐ40万人という大軍が援軍としてやってくる。倭軍が捕らえている2人の王子を釈放して漢陽から撤退すればこの戦も終わる」
沈惟敬の提案は小西行長にとっても“渡りに舟”だった。漢陽から撤退しないままでいると、豊臣軍が致命的な敗戦を喫することが小西行長にもわかっていた。
「これ以上の戦いは無益だ」
小西行長はそう悟って、沈惟敬の和議提案に前向きになった。
(ページ3に続く)

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