日韓の二千年の歴史2/広開土王の時代

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七支刀

『日本書紀』の記述によると、応神天皇の時代に百済(ペクチェ)から来日したのが王仁(わに)と言われている。日本に「論語」と「千字文」を持ち込んだそうで、これをもって、漢字と儒教を日本に伝えたのが王仁と称されている。
本当なら、日本の文化史上に大きな影響をもたらした大人物だが、生没年は不詳で、実在を証明する確証はない。
ただし、王仁の子孫は文筆で業績を残したとされているので、そのような一族が百済から日本に渡来したことは間違いないと思われる。
そもそも、百済の領土は朝鮮半島でも一番肥沃だった。
地図を見れば明らかだが、広い平野が広がっている。山間部が多い高句麗(コグリョ)や新羅(シルラ)の領土とは対照的だ。
農業用地に恵まれた百済は力をつけ、4世紀後半に朝鮮半島の西南岸にまで領土を広げた。




特に、13代王・近肖古王(クンチョゴワン/在位は346~375年)の時代が全盛期だった。
その近肖古王が、372年に使者を日本に派遣してヤマト政権に贈ったのが七支刀(しちしとう)である。
奇妙な形をした刀だ。
刀身が7つの枝に分かれている。
なぜ「7つの枝」なのか。
(ページ2に続く)

日韓の二千年の歴史3/仏教伝来

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