韓国は日本の植民地時代をどう生きたのか(前編)

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1910年8月22日、日本と大韓帝国の間で「日韓併合ニ関スル条約」が調印されました。この条約は8月29日に公布され、同時に、518年続いた朝鮮王朝が滅亡しました。朝鮮半島に朝鮮総督府が置かれるようになり、日本の植民地統治が始まりました。

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朝鮮総督となる人物は?

日本による朝鮮半島支配の総本山が朝鮮総督府です。この強大な役所は天皇に直属し、内閣からも独立した組織となっていました。そして、立法・行政・軍事の権力を握って、朝鮮半島の命運を左右したのです。
一言で言えば、日本による朝鮮半島支配の根本は「軍事統治」ということでした。朝鮮総督に就任する人物が現役の陸海軍大将であったことも、武官専制を表していました。
初代総督に選ばれたのは、日本の陸軍大臣との兼務になった寺内正毅です。彼は当初から朝鮮半島において強圧的な軍政を行ないました。言論・集会・結社の自由が完全に奪われましたが、朝鮮半島の人々は服従するしかありませんでした。




さらに、1911年には朝鮮教育令が公布されて、日本語による臣民教育が全土で開始されました。
また、日本と朝鮮半島の一体化を進める象徴として、滅亡した朝鮮王朝の旧王家の人々が利用されました。
たとえば、朝鮮王朝26代王・高宗(コジョン)の四男の李垠(イ・ウン)は留学という形で日本に在住しましたが、実際には人質も同然でした。彼は1920年に梨本宮の方子(まさこ)妃と正式に夫婦になりましたが、日本と朝鮮半島の融合を内外に示すための政略的な結婚という側面もありました。(ページ2に続く)

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