告発された張禧嬪
粛宗は、愛する妻の死をとても悲しんだ。その翌月、淑嬪・崔氏は張禧嬪が仁顕王后に呪いをかけていたことを告発した。調べてみると、仁顕王后が住んでいた昌慶宮(チャンギョングン)の通明殿(トンミョンジョン)から、呪いの人形や小動物の死骸が出てきた。それを知って激怒した粛宗は、張禧嬪に死罪を言い渡す。
高官たちからは「世子の母親を死罪にしてはなりません」と反対されたが、粛宗は、張禧嬪を絶対に許さなかった。
自ら毒を飲む羽目になった張禧嬪は、「息子に一目会いたい」と願った。粛宗はその願いを聞き入れて、息子に会うことを許した。このとき、誰もが感動的な親子の対面を予想していただろう。しかし、何を思ったのか張禧嬪はいきなり息子の下腹部を思いきり握り出し、それによって息子は失神してしまう。感動的な親子の対面とは程遠いかなり衝撃的なできごとだった。
1720年に粛宗は世を去るが、朝鮮王朝27人の王の中で、女性に関する問題をこれだけ多く起こしたのは、粛宗以外にはいない。
文=康 大地(コウ ダイチ)
張禧嬪(チャン・ヒビン)はワガママ粛宗(スクチョン)の犠牲者の1人!
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