わがまま放題の粛宗(スクチョン)/朝鮮王朝人物実録5

このエントリーをはてなブックマークに追加

粛宗について紹介している『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(康熙奉〔カン・ヒボン〕著/実業之日本社発行)

離縁された王妃

張禧嬪は、もともと宮中に女官でやってきた女性で、かなりの美貌の持ち主だった。粛宗は彼女に一目惚れするが、母親の明聖王后は、「いつかわざわいを起こすに違いない」と決めつけて、張禧嬪を王宮から追い出してしまう。その後、1683年に明聖王后が亡くなると、粛宗の正妻である仁顕(イニョン)王后が張禧嬪を王宮へ呼び戻した。




王宮に戻ってくることができた張禧嬪は、恩人である仁顕王后にお礼を言わずにわがままに振る舞い始めた。その後、さらに仁顕王后の立場が不利になることが起きる。1688年に、張禧嬪が粛宗の息子を産んだのである。
自分の後継ぎとなる息子がいないことに悩んでいた粛宗は、それを大変喜び、さっそくその息子を元子(ウォンジャ/世子の筆頭候補)に指名しようとした。しかし、そのことに対して、高官たちは反対した。なぜなら、仁顕王后はまだ若くて子供を産む可能性があったからだ。それでも粛宗は意見を変えなかった。
王の息子を産んだことで有利な立場になった張禧嬪。粛宗は、彼女にしつこく頼まれて仁顕王后を廃妃にしてしまう。もちろん、このときも大きな反対が起こったが、粛宗はそれをすべて無視した。
(ページ3に続く)

朝鮮王朝おもしろ人物列伝(19代王・粛宗編)

張禧嬪(チャン・ヒビン)はワガママ粛宗(スクチョン)の犠牲者の1人!

朝鮮王朝三大悪女の中で一番悪女でないのが張禧嬪(チャン・ヒビン)!

張禧嬪(チャン・ヒビン)とトンイのどちらが悪女なのか/朝鮮王朝秘話5

トンイ(淑嬪・崔氏〔スクピン・チェシ〕)の裏に黒幕がいた/朝鮮王朝秘話3

固定ページ:
1

2

3 4

必読!「ヒボン式かんたんハングル」

「韓流ライフ」というジャンルの中に、「ヒボン式かんたんハングル」というコーナーがあります。ここには、日本語と韓国語の似ている部分を覚えながら韓国語をわかりやすくマスターしていく記事がたくさん掲載されています。日本語と韓国語には共通点が多いので、それを生かして韓国語の習得をめざすほうが有利なのです。ぜひお読みください。

ページ上部へ戻る