1506年、暴君だった10代王・燕山君(ヨンサングン)は、高官たちによってクーデターを起こされた。そのとき、燕山君の異母弟とその妻は、どのような立場になったのだろうか?(端敬王后については、韓国時代劇の史実とフィクションの違いを解説した康熙奉〔カン・ヒボン〕著・実業之日本社発行の『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』で紹介しています)
側近に見捨てられた燕山君
クーデター派はまず、燕山君の異母弟にあたる晋城大君(チンソンデグン)の屋敷を訪ねた。燕山君を追放したあと、新しく晋城大君に王になってもらうためだ。しかし、計画を何も知らなかった晋城大君は、武人たちが自邸に押しかけてきたことに仰天してしまった。
「殺されるに違いない。もはや、これまでか……」
晋城大君は震えた。
彼は今までに燕山君から脅迫まがいの嫌がらせを数多く受けてきた。それだけに人一倍の恐怖心があり、自邸に押し寄せた武人を見て、異母兄が送り込んできた刺客たちと錯覚したのだ。
晋城大君は自決しようとした。それを必死で止めたのが夫人の慎(シン)氏だった。彼女は武人たちの様子をうかがい、決して刺客ではないと悟った。
こうして招き入れられたクーデター派は、晋城大君に挙兵を説明した。
ところが、晋城大君の態度が煮え切らない。それどころか、きっぱりと拒絶した。
必死に説得するクーデター派。晋城大君はなかなか首を縦に振らなかった。
一方、クーデター派の主力部隊は王宮に侵入して、燕山君の寝室に向かった。
そのとき、護衛の兵はどうしたか。彼らは塀を乗り越えて我先にと逃げ出したのだ。
宮中はもぬけの殻(から)になるような状況で、からだを張って王を守ろうとする者はいなかった。これほどに燕山君は愛想をつかされていたのだ。
その燕山君は、クーデター派の侵入を知って驚き、伝えにきた者の手を握ってブルブル震えているばかりだった。それを心の中で軽蔑しながら見ていた側近たちも、「外の様子を見てまいります」と言うと、脱兎のごとく逃げ出した。
こうしてクーデターは成功した。
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