『七日の王妃』の端敬(タンギョン)王后を物語る赤いチマ岩の伝説とは?

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『七日の王妃』について紹介している『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(康熙奉〔カン・ヒボン〕著/実業之日本社発行)

父親の命を奪われた王妃

高官たちにしてみれば、晋城大君の承諾を得られないと、クーデターの成功はない。彼らは必死に説得し、最後にようやく晋城大君は王になる決定をした。
こうして彼は11代王・中宗(チュンジョン)として即位した。
同時に、彼の妻は端敬(タンギョン)王后になった。




一方、王宮を追われた燕山君は島流しとなり、わずか2カ月で絶命してしまう。あまりにあっけない死。果たして何があったのか。
一応は病死と伝えられているが……。
中宗は、周囲にかつがれて王になったので、クーデターを成功させた高官たちに頭があがらなかった。
いわば、自立性がない王だった。すると、高官たちは中宗に対して「王妃を離縁してほしい」と迫った。
理由は、端敬王后が燕山君の妻の姪であり、父親も燕山君の側近だったからだ。その父親はクーデターが起きたときに真っ先に殺されている。
もし、端敬王后が恨みを持って新しい政権に反旗をひるがえしたら……。
そのことを高官たちは恐れて、中宗に王妃との離縁を要求したのだ。
(ページ3に続く)

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