3代王の功績
一番大きかったのは、王を頂点とする中央集権体制が全土にわたって浸透していたことです。科挙に合格して出世してきた優秀な官僚が体制を強固に守りましたが、特筆すべきは3代王・太宗(テジョン)の功績です。
彼は世子(セジャ/王の後継者)に指名されていた異母弟を殺して王になった非道の男ですが、政治的には大変有能で、政治・軍事・社会制度の面で朝鮮王朝の基盤を整備しました。太宗が強固に築いた王権が後の王朝を支えたとも言えます。
また、太宗の後を継いだのが、息子で4代王の世宗(セジョン)です。彼は民族独自の文字の創製を主導し、王朝最高の名君と評価されています。この世宗にしても、若いときに父の太宗によって帝王学を徹底的に叩きこまれています。こうしたことを考えても、朝鮮王朝の27人の王の中でも太宗の存在感は傑出していました。
朝鮮王朝が長く続いた二番目の要因は、大規模な内乱がほとんどなかったことです。518年間には確かに地方の不満分子が集結して反乱を起こしたことがありましたが、全土を揺るがす内乱にまでは発展していません。
もちろん、朝鮮王朝は善政ばかりではなく悪政がはびこることも多かったのですが、それでも王朝が倒れなかったのは、儒教が社会規範として民衆の末端にまで浸透していたことが大きかったと考えられます。
儒教の重要な徳目は「孝」と「忠」です。親に孝行して、目上の人に忠誠を誓う。このことを一番重んじた儒教が朝鮮王朝の統治思想になり、厳しい身分制度のもとで誰もが儒教的な価値観を信奉しました。「孝」と「忠」が人間関係のすべてであった社会では、反乱の気運が高まらないのも仕方がないことでした。
しかし、最後はその儒教的な価値観が命取りになりました。19世紀以降の激動する世界にあって、朝鮮王朝は相変わらず旧態依然とした制度にしばられ、政治が停滞して欧米列強や日本の干渉を受けるようになりました。
結局は、朝鮮王朝を存続させてきた儒教的な社会制度が世界の動向についていけなくなり、1910年に朝鮮王朝は幕を閉じたのです。
とはいえ、長い朝鮮王朝時代に培われた儒教的な社会規範は、現在の韓国にも強く残っています。特に、濃密な人間関係にそれを感じます。やはり、518年間も続いた長寿王朝の影響は一朝一夕になくなるものではないのです。
康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化・社会や、日韓交流の歴史を描いた著作が多い。主な著書は『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』『朝鮮王朝と現代韓国の悪女列伝』など。最新作は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』。
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