息子の正祖が即位
身内に包囲されていた荘献は失点を重ねていった。さらに荘献が住む東宮の下級役人が「世子に謀反の動きがあります」と訴え出てしまった。
激怒した英祖は荘献に自害を命じたが、荘献は自決することができなかった。すると、英祖は米びつを運ばせて荘献を閉じ込めてしまう。8日目に米びつを開けてみたら、荘献は餓死していた。
このとき、妻の恵慶宮はどうしていたのか。
自分の父親と叔父が加担していることをどのくらい把握していたのか。
彼女は何もできなかった。そればかりか、自分の夫が罪人として餓死したあおりで、世子の妻としての身分を剥奪されて実家に帰されてしまった。
ただし、英祖は荘献が世を去ったあとで後悔の念が強くなり、息子に「思悼(サド)世子」という尊号を贈っている。
1776年、恵慶宮の息子の正祖(チョンジョ/ドラマ『イ・サン』の主人公)が即位したとき、彼は自分の父親を陥れた連中を根こそぎ粛清した。
和緩王女は平民に格下げとなり、鄭厚嫌は死罪となった。その粛清の嵐は恵慶宮の実家にも及んだ。洪麟漢は死罪となり、洪鳳漢は高官の身分を剥奪された。恵慶宮の実家は完全に没落したのだ。自分の息子が王になったわけだから、そのことは恵慶宮もうれしかったと思われるが……。(ページ3に続く)