康熙奉(カン・ヒボン)が語る「仁祖(インジョ)の功罪」(後編)

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庶民に非難された王

清の軍はあまりに強く、結局は朝鮮王朝は降伏することになりました。
敗れた仁祖は、漢江(ハンガン)のほとりに出向いて、清の皇帝の前で屈辱的な謝罪をしました。
さらに、仁祖の3人の息子は人質として清の首都だった瀋陽(しんよう)に連れていかれてしまいます。




このときの庶民の怒りは甚(はなは)だしかったのです。なぜなら庶民は、清の大軍に攻められて放火や略奪という目に遭っていましたから。
「すべて王がだらしないからこうなるんだ」
庶民は仁祖を強く非難しました。(ページ4に続く)

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