康熙奉(カン・ヒボン)が語る「仁祖(インジョ)の功罪」(後編)

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和睦交渉時の約束を守らず

光海君は、明と後金(後の清)の間に立って、中立外交で成功しました。一方の仁祖は、極端に明に肩入れして後金を卑下するような態度を取り続けたのです。
これに激怒した後金は、1627年に3万人の大軍で攻めてきて、王朝も江華島(カンファド)に避難せざるをえない状況になりました。
このときは和睦交渉を行なって、朝鮮王朝は後金と兄弟の関係を保つことによって、なんとか戦乱を収束させました。




しかし、和睦交渉時の約束を仁祖はまったく守らなかったので、1636年12月に、後金は国号を清に変えて10万人を超える大軍で再び攻めてきたのです。
すでに江華島に避難する時間的余裕もなくなって、仁祖は1万3千人の兵と共に南漢山城(ナマンサンソン)に籠城して必死に耐えました。(ページ3に続く)

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