『華政(ファジョン)』に登場!光海君(クァンヘグン)の実像〔第1回〕

このエントリーをはてなブックマークに追加

 

光海君はクーデターで廃位にされた王ということで、かつては暴君というイメージが先行していました。しかし、その後の歴史研究が進んでくると、「そうではないのではないか」と評価が変化してきました。果たして、実際の光海君はどのような王だったのでしょうか。

dsc_0029

庶子出身の王

光海君の父親は14代王・宣祖(ソンジョ)です。彼は朝鮮王朝で初めて側室から生まれた王でした。13代王までは、すべて王の正室から生まれています。それが嫡子なのですが、宣祖の場合は庶子になります。
朝鮮王朝には厳しい身分制度があり、庶子出身の人は、ほとんど出世できませんでした。そういう庶子から王になったということで、宣祖は大変なコンプレックスを持っていました。




それだけに、自分が指名する世子(セジャ/王の正式な後継者)は正室が産んだ息子を当てたいと思っていたのですが、宣祖の正室は身体が弱くて子供ができなかったのです。結果的に、側室が産んだ息子の中から選ばざるを得ませんでした。(ページ2に続く)

貞明(チョンミョン)公主の生涯1!『華政』(ファジョン)の主人公

朝鮮王朝おもしろ人物列伝(15代王・光海君編)

光海君(クァンヘグン)!再評価される暴君

「華政」に登場!流刑地で世を去った光海君(クァンヘグン)

ページ:

1

2 3 4

関連記事

  1. 光海君(クァンヘグン)が王になった特殊な理由とは?

  2. 光海君と仁祖のライバル物語1「即位」

  3. 光海君の末路!廃位になった後どうなった?(歴史編)

  4. 仁祖(インジョ)の生涯1!綾陽君(ヌンヤングン)の即位

  5. 仁祖(インジョ)の生涯2!綾陽君(ヌンヤングン)の即位

  6. 人質から帰った昭顕世子を仁祖はどう迎えた?

  7. 光海君(クァンヘグン)と臨海君(イメグン)!兄弟同士の骨肉の争い

  8. 光海君と仁祖のライバル物語4「大義名分」(歴史編)

  9. 仁祖(インジョ)の屈辱を象徴する三田渡(サムジョンド)の碑!

PAGE TOP