田舎で国王候補を探した
孝明の死は豊壌・趙氏の没落を意味していた。
純元王后はいつまでも悲しんでいなかった。安東・金氏の一族支配をさらに強固にするために裏で動いた。
純祖は失意のまま、1834年に44歳で世を去った。
王位を継いだのは孝明の息子で、24代王・憲宗(ホンジョン)となった。
年齢はわずか7歳。この幼さで政治ができるわけがない。祖母の純元王后が摂政を行なった。
対抗勢力が駆逐されているので純元王后の権力基盤は万全だった。
しかし、憲宗は1849年に22歳で急死してしまった。
この時点で、憲宗の六親等以内の王族男性は1人もいなかった。しかし、七親等であれば、数人の候補がいた。そんな状況の中で純元王后が探し出してきたのが、田舎で農業に従事していた元範(ウォンボム)という18歳の青年だった。(ページ4に続く)