最愛の息子を失ったが……
安東・金氏の一族支配が崩れそうになったときがあった。
それは、純祖と純元王后の長男であった孝明(ヒョミョン)の妻として、1819年に豊壌(プンヤン)・趙(チョ)氏という一族の娘を迎えたときだった。
孝明は10歳の世子であった。幼い頃から聡明で、名君になる素質が十分だった。
もちろん、純元王后としては、ぜひ安東・金氏の娘を嫁に選びたかった。根回しをしていたのだが、最後に純祖に押し切られた。
これは、純祖の精一杯の抵抗だった。安東・金氏の横暴を見て見ぬふりしかできなかった王であったが、彼らの専横をこれ以上は許さぬために、純祖は珍しく強権を発して孝明の妻を豊壌・趙氏から選んだ。
孝明が成長するにつれて、王宮の中で豊壌・趙氏の勢力が強くなった。純祖の思惑どおりの結果になりそうだった。
しかし、状況が一転した。孝明が21歳で早世したのである。
純元王后は最愛の長男を失って悲しみに暮れた。皮肉にも、そのときが安東・金氏が勢力を巻き返す契機になった。(ページ3に続く)