康熙奉の朝鮮王朝秘話!英祖と思悼世子の確執5

このエントリーをはてなブックマークに追加

朝鮮王朝の王統を守るため

息子の死が確認された当日に英祖は冷静だった。

しかも、罪人扱いしていたのに、死が確認されるとすぐに“思悼世子”という諡を贈っている。

これは“世子を思い、その死を悼〔いた〕む”という意味だが、ここまでりっぱな諡を用意しているくらいなら、なぜ息子の命を救わなかったのか。

英祖にしてみれば、朝鮮王朝の王統を守るためにやむをえなかったという気持ちが強かったかもしれない。




朝鮮王朝の歴代王の中では10代王・燕山君(ヨンサングン)と15代王・光海君(クァンヘグン)という2人の王がクーデターによって追放されているが、思悼世子もそこに名を連ねないようにするために、あえて英祖は泣いて思悼世子を死に至らしめたという見方もできる。

あまりに手回しよく“思悼世子”という諡を用意しているところに、英祖のただならぬ決意を感じ取ってしまう。(ページ3に続く)

ページ:
1

2

3

関連記事

  1. 申師任堂(シン・サイムダン)はどんな女性だったのか

  2. ハン・ヒョジュ主演『トンイ』で描かれなかった「粛宗と張禧嬪の出会い」とは?

  3. 『不滅の恋人』が描く歴史が面白い

  4. 42人の王妃の中で一番の悪女だった2人とは誰か

  5. 端敬王后(タンギョンワンフ)の人生は何だったのか

  6. 【時代劇が面白い!】文定王后の悪行とは何か

  7. 張禧嬪(チャン・ヒビン)とトンイのどちらが悪女なのか/朝鮮王朝秘話5

  8. 歴史に生きた貞明公主「第1回・誕生」

  9. トンイはなぜ王妃になれなかったのか

PAGE TOP