『七日の王妃』を見ると端敬王后が悲しい!

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韓国時代劇の『七日の王妃』はタイトルの意味が深い。朝鮮王朝の歴史上、わずか7日間だけ王妃の座に就いた女性が存在する。それが、1487年に生まれて1557年に亡くなった端敬(タンギョン)王后である。




刺客と錯覚

暴君として悪名が高かった10代王・燕山君(ヨンサングン)の廃位を狙ったのは、朴元宗(パク・ウォンジョン)、成希顔(ソン・ヒアン)、柳順汀(ユ・スンジョン)という高官たちだった。彼らは燕山君に強い恨みを抱いていた。
1506年、クーデターを起こした高官たちは、燕山君の異母弟にあたる晋城大君(チンソンデグン)の屋敷に向かった。燕山君を追放したあと、新しく晋城大君を王位に就けるために迎えに行ったのだ。
しかし、クーデターを知らなかった晋城大君は、多くの兵士が自邸に押しかけてきて恐れおののいた。
「殺されるに違いない」
晋城大君は震えた。
彼はそれまでに燕山君から強烈にいじめられていた。それだけに、自邸に押し寄せた兵士を見て、異母兄が送り込んできた刺客と錯覚したのだ。




「もはや命がないなら、自分の手で……」
覚悟した晋城大君は自決しようとした。
自決しようとした晋城大君を必死に止めたのが、夫人の慎(シン)氏だった。彼女は兵士たちの様子を見て刺客でないと見抜いたのだ。
一方、クーデター派の主力部隊は燕山君を支える重臣たちを個別に襲って絶命させたうえで、王宮の正門の外で待機した。
夜が明ける頃には、王宮の各門を守っていた護衛の武人たちも政変が起こったことを知った。すると、彼らは塀を乗り越えて我先にと逃げ出した。こうして、宮中はもぬけの殻(から)になった。
からだを張って王を守ろうとする者はいなかった。それほどに燕山君は愛想をつかされていたのだ。
結局、燕山君は捕らえられて、王の座から引きずりおろされた。
すぐに、燕山君の12歳下の異母弟であった晋城大君が、11代王の中宗(チュンジョン)として即位した。




この王位交代は、歴史的に「中宗(チュンジョン)反正(バンジョン)」と呼ばれている。“反正”とは“乱れを正すこと”であり、大きな意味で「悪い王を追放して新しい王が即位すること」を指していた。
燕山君は王宮から追放されて江華島(カンファド)に流罪となり、2か月後に絶命してしまった。
燕山君の正妻も廃妃となって実家に帰された。その兄にあたる慎守勤(シン・スグン)は燕山君の側近であったが、クーデターの実行時に真っ先に殺害されている。
ここで糾弾されたのが、新しい王となった中宗の正妻である。その慎氏は慎守勤の娘なのである。
クーデターを成功させた高官たちは、慎守勤と娘の関係を問題にした。結論から言うと、慎氏の廃妃を主張したのだ。
それは、中宗にとって苛酷な要求だった。クーデターのときに自決をはかろうとした中宗を思いとどまらせたのが慎氏だった。
愛妻であり命の恩人である。




そんな彼女を王妃の座から引きずりおろすことなどできない。
普通なら、王の意思は絶大で、臣下がくつがえせるものではなかった。しかし、中宗の場合は事情が違った。彼はやはり高官たちに逆らうことができなかった。そこが、「祭り上げられた王」の弱さでもあった。
中宗は泣く泣く妻を離縁した。その結果、妻が王妃の座にあったのは、わずか7日間だけだった。悲しみの中で廃妃となった慎氏であったが、死後には端敬(タンギョン)王后という尊号を得ている。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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