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康熙奉(カン・ヒボン)の「日韓が忘れてはいけない人15」

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追放された日延

幕府の重臣たちは、3代将軍家光に対して対論の一部始終を報告。家光は受不施派を支持する結論を下した。

敗れた不受不施派の中心人物たちは配流されることになった。

いわば、追放の刑である。対馬という遠島に流された人もおり、この結果をもって日蓮宗内の対立が終わった。




この対論が行なわれた当時、誕生寺の貫首は18世の日延だった。日延はこの対論に列席してはいなかったが、不受不施派を支持する有力な1人であった。彼は、自ら他の不受不施派の人たちと同じように罰を受けることを願い出て、結果的に追放されている。そういう意味では自分の信念を曲げない人物だった。

その後の日延は、博多の法性寺に預けられた。

この法性寺は、かつて日延が日本に来たときに出家得度した寺であり、彼は16歳で京都に行くまでここで修行していた。

とても因縁のある場所なのである。(ページ3に続く)

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