悲劇的な内紛
福信は生まれながらの真の武将であり、軍事面でも統率力に長けていた。一方、幼くして日本に渡って30年近くも異国に住んだ豊璋は、頭脳明晰で学問には秀でていたが、軍事のことはわからなかった。
王として君臨し、軍事面は福信に任せておけば特に問題にならなかったのだが、豊璋は自ら軍を掌握しようとした。
しかし、豊璋が福信の意に反して行なった軍事的な作戦は失敗が多く、百済復興軍の勢いをそぐ結果になっていた。
福信と豊璋の対立は決定的となり、いざこざが絶えなくなった。その中で起こったのが、福信が道深法師を殺害するという出来事だった。
道深法師は、福信の協力者であり名参謀であったのだが、その協力者を福信は殺してしまった。
一説によると、道深法師が豊璋にそそのかされて福信に背信的な行為をしようとしたことが原因とも言われている。
いずれにしても、信頼する道深法師まで殺してしまった福信の刃の先は、次に豊璋に向かうのも明らかだった。
そうした危険を察知した豊璋は一体どうしたか。
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