日本のコリアをゆく(百済寺跡・鬼室神社編2)

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歴史書の記述の違い

韓国と日本に残る歴史書から見てみよう。

朝鮮半島最古の歴史書『三国史記』には、次のように記されている(なお、「豊璋」のことは「扶余豊」と表記されている)。

福信はすでに権力を専横し、扶余豊と互に猜忌するようになり、福信は病いだと称して地を掘ってつくった部屋に寝て、扶余豊が病気見舞いに来れば、とらえて殺そうとした。扶余豊はこれを知って、みずから信頼する部下をひきいて、福信を不意に襲って殺した。

一方、『日本書紀』には、もっと生々しい記述がある。『日本書紀』の天智紀にある記述を現代語に訳してみよう。




百済王の豊璋は、福信が謀反を起こすと疑い、福信の掌に穴をあけて縛った。それからは、どうしたものかと思案し、配下の者たちに「福信の罪はこの通りだ。斬るべきかどうか」と問うたところ、執得という家臣が「この反逆児を許してはいけません」と言った。激怒した福信は執得に唾をかけて「くさった犬のような頑固者め!」と罵倒した。豊璋は屈強な者に命じて福信を斬り、その首を酢漬けにした。

豊璋が福信を殺したという事実は同じでも、その過程の記述では『三国史記』と『日本書紀』で違いがある。『日本書紀』のほうが豊璋に好意的なのは、豊璋が日本の朝廷と関係が深かったからだろう。歴史書といっても、結局は書き手の意思によって、記述はいかようにも変わるのである。

(次回に続く)

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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