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タグ:英祖
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英祖(ヨンジョ)はどんな国王だったのか
朝鮮王朝19代王・粛宗(スクチョン)と側室の叔嬪・崔氏(スクビン・チェシ)との間に生まれた21代王・英祖(ヨンジョ)は、在位中に人権に配慮した政策を実施するなどの功績を立てたが……。 [capt… -
【朝鮮王朝の国王診断】英祖は悩みが多い国王だった
1720年、張禧嬪(チャン・ヒビン)が産んだ王子が20代王・景宗(キョンジョン)として即位した。この景宗には子供がいなかった。もし景宗が世を去れば、異母弟が自動的に王位を継承する。その景宗は即位して4… -
『イ・サン』が描いた英祖と思悼世子の悲劇とは?/時代劇特選1
1762年、21代王の英祖(ヨンジョ)は息子の思悼世子(サドセジャ)を米びつに閉じ込めてしまう。思悼世子の素行の悪さに英祖が激怒した結果だった。果たして、結末はどうなったのか。 … -
チョン・イルが『ヘチ』で扮した英祖(ヨンジョ)の苦悩とは?(特別編)
朝鮮王朝の27人の王の中で、在位期間が一番短かったのは12代王・仁宗(インジョン)の8カ月。逆に、一番長かったのは52年間も王位に就いていた21代王・英祖(ヨンジョ)である。80歳を過ぎても王の座に就… -
英祖と思悼世子の親子関係の正体4「息子を餓死させた英祖の後悔」
世子を廃された荘献は、ただ許しを請うばかりで一向に自決しようとはしなかったため、英祖は配下の者に米びつを持ってこさせた。その中に荘献を閉じこめて、「絶対に米びつのフタを開けてはならない」と言った。 … -
英祖と思悼世子の親子関係の正体3「父と息子の間に生まれた確執」
数年の間、景宗毒殺の噂に悩まされ続けた英祖だが、その苦境を脱した後は徐々に王権を安定させていった。英祖の最初の妻は貞聖(チョンソン)王后だが、2人の間に子供はいなかった。英祖の最初の子供は側室から生ま… -
英祖と思悼世子の親子関係の正体2「王となった英祖を悩ませた噂とは?」
景宗(キョンジョン)が早世したことで、淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏の息子だった延礽君(ヨニングン)が21代王・英祖(ヨンジョ)として即位した。彼は、王としてどのような政治を行なったのだろうか。 … -
英祖と思悼世子の親子関係の正体1「老論派と少論派の派閥闘争」
朝鮮王朝21代王・英祖(ヨンジョ)は、27人の王の中で一番長生きした王として知られている。彼は、自分の息子を餓死させるという事件を起こしているが、いったいなぜそんなことをしたのだろうか。 … -
『ヘチ』でチョン・イルが華麗に扮した英祖はどんな国王だったのか(後編)
『ヘチ 王座への道』がNHKの総合テレビで日曜日の午後11時に放送されている。『ヘチ』で主役のチョン・イルが演じたのが若き日の英祖(ヨンジョ)だが、晩年の彼はどういう人生を歩んだのか。 … -
『ヘチ』でチョン・イルが華麗に扮した英祖はどんな国王だったのか(前編)
チョン・イルが主演した『ヘチ 王座への道』がNHKの総合テレビで日曜日の午後11時に放送されている。好評を博しているこのドラマの主人公となっている英祖(ヨンジョ)の人生を振り返ってみよう。 …