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タグ:康熙奉
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康熙奉(カン・ヒボン)の「日韓が忘れてはいけない人6」
第6回 余大男(後編) 豊臣軍による朝鮮出兵の際、13歳の余大男(ヨ・デナム)は加藤清正の軍につかまり、日本に連れてこられた。利発だった彼は僧侶としての修行を積み、1609年に29歳の若さで本妙寺(ほん… -
康熙奉(カン・ヒボン)の「日韓が忘れてはいけない人5」
第5回 余大男(前編) 熊本に出掛けてみると、地元では今でも英傑として加藤清正が讃えられていることがよくわかる。タクシーの運転手さんも「熊本の歴史に残る人物といえば、まずは加藤清正公です」と大きな声で言… -
康熙奉(カン・ヒボン)の「日韓が忘れてはいけない人4」
第4回/雨森芳洲(後編) 朝鮮通信使の制述官であった申維翰(シン・ユハン)と、対馬藩で通訳を担当した雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)。2人が対立する発端は、申維翰が対馬藩主に招待されたことだった。 [capt… -
康熙奉(カン・ヒボン)の「日韓が忘れてはいけない人3」
第3回/雨森芳洲(前編) 私が初めて雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)のことを強く意識したのは1990年のことだった。この年、韓国の盧泰愚(ノ・テウ)大統領が来日して国会で演説をしたのだが、そのときに、日本と朝鮮半島… -
康熙奉(カン・ヒボン)の「日韓が忘れてはいけない人2」
第2回/浅川伯教・巧(後編) 浅川兄弟の弟の巧(たくみ)は、1891年(明治24年)に生まれた。兄の伯教(のりたか)より7歳下である。山梨県立農林学校を卒業し、秋田県の営林署に勤めて植林の仕事に従事した。彼はいつも… -
康熙奉(カン・ヒボン)の「日韓が忘れてはいけない人1」
第1回/浅川伯教・巧(前編) 日本の統治下にあった朝鮮半島で、陶磁器の研究や林業の発展に貢献したのが、山梨県出身の浅川兄弟だった。兄が伯教(のりたか)で、弟が巧(たくみ)。この兄弟の足跡を追ってみよう。 [c… -
軍楽隊ユンホについて一番知りたいことは?(後編)
[caption id="attachment_5769" align="aligncenter" width="300"] 一般的な軍楽隊の演奏風景(写真=韓国陸軍公式サイトより)[/caption… -
軍楽隊ユンホについて一番知りたいことは?(前編)
[caption id="attachment_5768" align="aligncenter" width="300"] 写真=韓国陸軍公式サイトより[/caption] 私(康熙奉〔カン・… -
日本と違う韓国のビックリ27
第27回 並ぶのは時間の無駄という考え方 エンドロールで席を立たない 平日の午前11時に渋谷で地味な映画を見た。 ガラガラだと思ったら、空いていたのは最前列だけ。年配の人たちが、しっかり座席を埋めている… -
日本と違う韓国のビックリ26
第26回/今もコリアンタイムが通用する? 1990年代の後半、ソウルに取材に行ったときは、ロッテホテルのロビーでよく人と待ち合わせをした。そのとき、来る人がほとんど30分くらい遅れてくる。理由はきまって「渋滞がひど…