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カテゴリー:韓国紀行
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追憶の済州島紀行10「耽羅の時代」
もともと住んでいたモンゴロイド系種族と南方系種族の混血が済州島内で進み、独特な州胡人が形成されていったものと思われる。特に南方系種族は体躯が小さく、それが『三国志』韓伝が言うところの「からだが小柄」と… -
追憶の済州島紀行9「南方の海洋族」
『後漢書』韓伝では、韓人について「からだが長大で、頭髪も長く美しい。衣服は布綿を用い靴を履く」と記されている。要するに、中国の史書によると、韓人と州胡人は言語、体格、衣服に大きな違いがあるということに… -
追憶の済州島紀行8「かつての済州島」
島の東に向かうバスに乗った。島を一周するのに右回りを選んだのは、単に時計回りのほうがなじみやすいからだった。車窓を通して、済州島の雄大な風景が目に入ってくる。青い海が広がり、黒い火山石が露出し、漢拏山… -
追憶の済州島紀行7「感激のヘムルタン」
島の東側に行くバスの停留所を尋ねたら、歩いて5分くらいの場所だという。そこへ向かっているときに、急に空腹を覚えた。これは大いに望むところだった。済州島の食を満喫するためには、すぐに腹が減ってくれないと… -
追憶の済州島紀行6「尊重されてきた三姓穴」
三姓穴の聖域化は、朝鮮王朝時代の1526年、当時の李壽童牧使の時代から推進された。穴のまわりに石で垣根をつくり、北側に紅門と碑を建て、春と秋には三姓を受け継いだ一族によって祭祀を行ない、11月には島民… -
追憶の済州島紀行5「三姓穴の穴が見たい」
三姓穴の案内によると、石柵に囲まれた芝生の庭の中に3つの穴があるという。ところが、石柵の前で何度も爪先立ちしたが、穴があるとされる、ロープで示された囲いの中をまったく窺い知ることができなかった。他の人… -
追憶の済州島紀行4「ここは『食の島』」
眈羅巡礼図を持っていたのは、陸地(済州島の人は朝鮮半島のことをこう言う)に住んでいた李衡祥の子孫だった。その図を3億ウォンで済州市が買い取り、それを基に各堂を復元したというわけだ。おかげで、李衡祥牧使… -
追憶の済州島紀行3「済州牧官庁の由来」
観徳亭のとなりには、朝鮮王朝時代の施設を復元した済州牧官庁という史跡地があった。そこは、耽羅国の時代から島を統括する政治を司った中心地だったようだ。実際、何棟もの堂が新しく復元されていて見栄えがよかっ… -
追憶の済州島紀行2「トルハルバンの起源説」
像とは本来、威厳をもって造られるものであろう。しかし、トルハルバンにかぎっては威厳よりも愛嬌が先行している。これぞ、古来陽気な済州島人の諧謔精神の表れか。それでも、城門の前に建てられたのであるから、厳… -
追憶の済州島紀行1「象徴的なトルハルバン」
済州空港から済州島に入って最初に向かったのは、朝鮮王朝時代の済州島を代表する建物だった観徳亭である。今も、車の往来が激しい済州市の中心部に古めかしく存在している。堂々とした屋根瓦と、梁に描かれた時代絵…