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カテゴリー:時代劇の登場人物
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トンイ(淑嬪・崔氏〔スクピン・チェシ〕)の素性は怪しかった/朝鮮王朝秘話2
1689年、19代王の粛宗(スクチョン)は仁顕(イニョン)王后を廃妃にして側室の張禧嬪(チャン・ヒビン)を王妃に昇格させた。しかし、張禧嬪は安泰とはならなかった。淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)という強… -
張禧嬪(チャン・ヒビン)はなぜ王妃になれたのか/朝鮮王朝秘話1
19代王・粛宗(スクチョン)が張禧嬪に出会ったのは1680年だった、と言われている。張禧嬪は通訳官の親戚というコネで王宮に入ってきた女官である。絶世の美女だったことは間違いないので、艶福家の粛宗は一目… -
ファン・ジニ(黄真伊)!男なら誰もが会いたがった
美しい容姿と優れた感性によって、男たちを手玉に取った妓生(キーセン)だったファン・ジ二(黄真伊)〔生没年不詳〕。正確な出自はわからないが、幼い頃に父親が家を出ていき、母親1人の手で… -
『七日の王妃』主人公の端敬(タンギョン)王后!離縁後の人生は?
韓国時代劇の『七日の王妃』が面白い。なんといっても、キャスティングがいい。11代王・中宗(チュンジョン)の最初の正室だった端敬(タンギョン)王后をパク・ミニョンが演じている。中宗はヨン・ウジン、そして… -
申師任堂(シン・サイムダン)はどんな女性だったのか
申師任堂(シン・サイムダン)は1504年に生まれて1551年に亡くなった朝鮮王朝時代の女性芸術家だ。今でも韓国ではとても尊敬されており、5万ウォン(約5千円)という最高額紙幣の肖像画になっている。 … -
イ・サン(正祖)が即位直後に一番やりたかったことは?
1776年、24歳で正祖(チョンジョ/ドラマ「イ・サン」の主人公)は王になった。即位後の第一声は「嗚呼!寡人は思悼世子の子なり」という言葉だった。この「寡人(クァイン)」というのは、王が自分のことをい… -
『イ・サン』の主人公の正祖(チョンジョ)は本当に名君だった?
朝鮮王朝時代の名君と言えば、なんといっても、ハングルを作った4代王・世宗(セジョン)があまりに有名だ。今でも韓国の小学校に行けば世宗の銅像がよくあるし、1万ウォン紙幣の肖像画になっている。この世宗に名… -
少子化の真逆!王建(ワン・ゴン)には25人の王子がいた?
高麗王朝の初代王であった王建(ワン・ゴン)。韓国時代劇の主人公になった英雄だが、彼には非常に多くの子供たちがいた。それは、彼が王朝を建国する過程で「あること」を繰り返した結果であった。 29… -
張禧嬪(チャン・ヒビン)の最期!『トンイ』と史実はこんなに違う
1701年、19代王・粛宗(スクチョン)の側室だった張禧嬪(チャン・ヒビン)は、亡くなった仁顕(イニョン)王后に対して呪詛(じゅそ/呪い殺す儀式のこと)をした罪で死罪となった。そのときの描き方は、史実… -
『イ・サン』が描いた英祖(ヨンジョ)と思悼世子(サドセジャ)の悲劇とは?
1762年、21代王の英祖(ヨンジョ)は息子の思悼世子(サドセジャ)を米びつに閉じ込めてしまう。思悼世子の素行の悪さに英祖が激怒した結果だった。果たして、結末はどうなったのか。 王宮の一角に…