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カテゴリー:歴史物語
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日本との外交を憂慮した申叔舟(シン・スクチュ)の遺言!
申叔舟(シン・スクチュ)は15世紀の朝鮮王朝で官僚トップになった人物だった。日本に行った経験もあり、当時の朝鮮王朝で誰よりも日本のことをよく知っていた。そんな彼は臨終のときにどんな言葉を残したのか。 … -
世界遺産となった朝鮮通信使とは何か
ユネスコの「世界の記憶」に、日韓の団体が共同で申請していた「朝鮮通信使に関する記録」が選ばれた。この朝鮮通信使とは、歴史的にどんな存在なのだろうか。友好の証であった使節の概略を見てみよう。 [c… -
『イ・サン』の主人公の正祖(チョンジョ)は本当に名君だった?
朝鮮王朝時代の名君と言えば、なんといっても、ハングルを作った4代王・世宗(セジョン)があまりに有名だ。今でも韓国の小学校に行けば世宗の銅像がよくあるし、1万ウォン紙幣の肖像画になっている。この世宗に名… -
少子化の真逆!王建(ワン・ゴン)には25人の王子がいた?
高麗王朝の初代王であった王建(ワン・ゴン)。韓国時代劇の主人公になった英雄だが、彼には非常に多くの子供たちがいた。それは、彼が王朝を建国する過程で「あること」を繰り返した結果であった。 29… -
韓国で芸能人が卑下されてきた歴史的な背景とは?
世界的なスターを生み出している韓国の芸能界。そのあこがれの世界を夢見る子供たちは多いのですが、いまだに韓国社会では芸能人を低く見る風潮が残っています。そこには、どんな歴史的背景があるのでしょうか。 … -
張禧嬪(チャン・ヒビン)の最期!『トンイ』と史実はこんなに違う
1701年、19代王・粛宗(スクチョン)の側室だった張禧嬪(チャン・ヒビン)は、亡くなった仁顕(イニョン)王后に対して呪詛(じゅそ/呪い殺す儀式のこと)をした罪で死罪となった。そのときの描き方は、史実… -
〔総集編〕韓国はなぜ日本の植民地になったのか
先に「韓国はなぜ日本の植民地になったのか」という記事を前編・中編・後編の3回に分けて掲載しました。今度はそれを〔総集編〕として1回にまとめ、改めて掲載します。「19世紀の半ばから朝鮮半島がどのように日… -
『イ・サン』が描いた英祖(ヨンジョ)と思悼世子(サドセジャ)の悲劇とは?
1762年、21代王の英祖(ヨンジョ)は息子の思悼世子(サドセジャ)を米びつに閉じ込めてしまう。思悼世子の素行の悪さに英祖が激怒した結果だった。果たして、結末はどうなったのか。 王宮の一角に… -
韓国は日本の植民地時代をどう生きたのか(後編)
1926年には、朝鮮王朝最後の王だった27代王・純宗(スンジョン)が亡くなりました。6月10日に国葬が行なわれましたが、その際に「独立万歳」を叫んだ学生たちと日本の官憲が衝突しました。再び抗日運動が激… -
韓国は日本の植民地時代をどう生きたのか(前編)
1910年8月22日、日本と大韓帝国の間で「日韓併合ニ関スル条約」が調印されました。この条約は8月29日に公布され、同時に、518年続いた朝鮮王朝が滅亡しました。朝鮮半島に朝鮮総督府が置かれるようにな…