韓国の人たちは「私たち」という意味の「ウリ」という言葉をよく使う。会話だけでなく、テレビニュースを見ていると、アナウンサーが「ウリ」を連発する。そこで、「ウリ」という言葉から韓国社会を見てみよう。
「ウリ」の中と外の違い
「ウリナラ(私たちの国)」
「ウリトンネ(私たちの町内)」
「ウリカジョク(私たちの家族)」
「ウリハッキョ(私たちの学校)」
韓国人の会話の中では「ウリ」が大連発だ。
自分の息子を呼ぶときも「ネアドゥル(私の息子)」というより、「ウリアドゥル(私たちの息子)」と言うことが多い。「私」より「私たち」のほうが通りがいいのだ。
たとえ今日知り合った仲でも、言葉を交わしてお互いに紹介しあえば、それで「ウリ」同士になる。そして、「ウリ」の範囲に入った人には、本当に親身になって世話をしてくれる。
一方、韓国で道を尋ねたときに、わりと素っ気ない人が多いのも確かである。日本人は、他人に対してもそれなりに親切にすることが多いのだが、韓国人は、他人に対してあまり関心を示さない。
もちろん情が強い国民性なので、知り合えば本当にここまでやるかというくらいに面倒を見てくれるのだが、「ウリ」の中に入らない他人は別なのである。
韓国では本当に「仲間」と「他人」の区分けが非常に明確になっている。これは、儒教社会において大家族で共同生活をしてきたことが強く影響していると思われる。とにかく、韓国人の多くが強い同族意識を持っている。
それを促したのが、日本と比べ物にならないくらいに多い法事だ。
祖先崇拝が社会規範になっていることで法事が多いのだが、その集まりを通して仲間意識が強まっていく。
こんな話を聞いたことがある。
ある日本人が韓国に語学留学して下宿住まいをしているとき、隣にいた韓国人の若者と仲良くなったが、その若者は日本人の歯ブラシを無断で使ってしまったという。歯ブラシでさえそうなのだから、他のものも無断使用が多かった。
といっても、その若者に悪気はないのである。「ウリ」同士だから品物を貸し借りするのは当然だと考えているのだろうし、実際にその若者は気前よくいろいろなものをくれたともいう。
自分の所有物でも「ウリ」同士で有意義に使おうという意識が韓国人の中にあることは確かなのだ。
文=「ロコレ」編集部