父は韓国の済州島(チェジュド)の出身だった。生前、私に「死んだら済州島に埋めてくれ」と言っていた。願いどおり、父は日本で骨になったあとで故郷の墓地に埋められた。母の悩みは父の先祖の墓が済州島の各地に散らばっていることだった。悩むには理由がある。
小さな古墳にまつられる
韓国は土葬の国である。「人間は死ねば、身体は土に還り、魂は空に飛んで行く」という考え方が根強い。その結果、世を去った人は火葬されずに、そのまま土に埋められて、その上にお椀のような形をした土を盛られる。死者は小さな古墳にまつられるのだ。
しかし、この方式だと墓地用の土地がかなり必要だ。時が経てば、狭い韓国が墓地だらけになってしまう。現に、そうなっている。
ソウルでは、墓地用の土地がないことを理由に、火葬が奨励されるようになった。何年か前にソウルの火葬の割合は60%を超えたという新聞記事を読んだような気がする。大都市では、急速に火葬が増えているというわけだ。
しかし、済州島は違う。土地もあるし、伝統的な土葬が当たり前である。ただし、墓守が大変。何かと重労働をともなうからだ。
墓守にどんな重労働があるのか。
韓国では墓参りをするのは秋夕(チュソク)のときと決まっている。秋夕は旧盆のことで、旧暦の8月15日がその日にあたる。新暦では9月下旬になることが多い。
この時期になると、夏の間に成長した雑草で墳墓は覆われてしまう。そんな状態で墓参りをしたら先祖に失礼なので、秋夕の前に一族総出で草刈りをする。これを「ポルチョ」と言う。
父の故郷では、甥たちが11の墓を守っていた。それがすべてバラバラに散っている。他人のミカン畑の中にある墓もあれば、空き地にポツンと作られている墓もある。「ポルチョ」のときには、そのすべてを回って草を刈る。しかも、かつては手作業だった。大変な重労働である。
母は、父の甥たちに申し訳ないと思い、散らばっている11の墓を1か所に集める計画を立てた。そのほうが、「ポルチョ」が少しは楽になる。そこで、母は一族の墓地用の土地を入手した。
あれは、1999年だったか。父の故郷で大々的な墓地の引っ越しが行なわれた。私も手伝ったが、済州島にいる墓職人がみんな集まったのではないかと思えるほどの作業が行なわれ、テニスコートが4つくらい作れるような土地に、我が先祖の11の墳墓がきれいに並んだ。
これで母の心配の種が1つ減った。その母も8年後には自分が作った墓地の12番目の住人となった。
母が埋められるときの記憶が生々しい。
日本で骨になった母は、最終的に故郷の済州島に埋められたが、そのときの墓職人の手腕が見事だった。
骨壺に入った骨を人間の形に再現し、服を着せて、安らかに眠るための呪文が書かれた布をかぶせ、所定の土の中に埋めた。棺はなかった。土に還りやすくするためなのだろう。最後はお墓をお椀のような形にして作業が終わった。
今も、私は何年に1回の割合で、秋夕の前に父母の故郷に行き、「ポルチョ」を手伝っている。
あるとき、墓地の隅に、見慣れぬものが存在していた。墳墓なのである。いとこに聞くと、いつのまにか作られていたという。
誰の墓かもわからない。相手からすれば、他人の墓地に勝手に墓を作ったことになる。あきれたが、同時に思い出したことがある。
私の祖父の墓も、かつては他人のミカン畑の中にあった。祖父は地主だったので土地がいくらでもあるのに、なぜ他人の土地に埋められたのか。
それは、風水で占ったときの適地だったからだ。すると、我が一族の墓地にある見知らぬ墓も、風水がいいという理由でそこに埋められたのだろうか。
これもまた、日本と違う韓国のビックリである。
文=康 熙奉(カン ヒボン)