追憶の済州島紀行9「南方の海洋族」

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『後漢書』韓伝では、韓人について「からだが長大で、頭髪も長く美しい。衣服は布綿を用い靴を履く」と記されている。要するに、中国の史書によると、韓人と州胡人は言語、体格、衣服に大きな違いがあるということになるのだ。

済州島の荒波(写真=済州特別自治道観光協会)




孤島となった済州島

もともとは、東北アジアから南下してきたモンゴロイド系という点では同じ種族であった。いち早く南下して陸続きのときに漢拏山まで至った人たちが州胡人となり、海にさえぎられて朝鮮半島の南端から先に進めなかった人たちが韓人になった。
それだけの違いだった。しかし、海で隔てられてからは、長い年月の間にまったく別人になっている。
もちろん、離島となった済州島で独特の生活様式が生まれるのも当然のことだ。元の種族は同じでも、生活環境の違いが言語や風俗の違いを鮮明にしたのである。しかし、もう1つの要因があったことも見逃せない。それは、済州島が南方系の海洋族の影響を大きく受けたということである。
大陸から離れて日本列島が誕生した後、フィリピンから台湾、対馬海峡、日本海へ向かう暖流が北に向かって勢いよく流れるようになった。その暖流は済州島の沿岸もかすめていて、その流れに乗って南方系(東南アジアや中国南部)の海洋族が済州島にやってきたことも容易に推察される。




彼らは海の魚、貝、海草を採って食べる種族だったが、小舟やイカダを器用に操り、驚くほど遠くまで移動することができた。
今と違って国という概念が作りだす国境などない時代である。好奇心さえ旺盛なら、どこまでも足を延ばすことが可能だった。長い年月の中で、様々な海洋族が済州島に住み着くようになっても不思議ではない。
中には潜水して魚や貝を巧みに採る人たちもいた。済州島の沿岸は特に鮑やサザエの宝庫だから、喜んで定住したはずだ。済州島は海女で有名だが、その技術ははるか昔に南方の海洋族がもたらしたものに違いない。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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