済州空港から済州島に入って最初に向かったのは、朝鮮王朝時代の済州島を代表する建物だった観徳亭である。今も、車の往来が激しい済州市の中心部に古めかしく存在している。堂々とした屋根瓦と、梁に描かれた時代絵巻のような絵画が印象的である。
島でナンバーワンの人気
観徳亭は朝鮮王朝時代に官吏たちによってよろずに使われたという。昨日は歌舞宴席、今日は武芸訓練、明日は公事議論、明後日は罪人処刑というように……。この観徳亭にやってくれば、済州島で何が起こっているのかがよくわかった。そういう意味では世相を反映した中央広場の役割を果たしたのであろう。
ここは今でも待ち合わせによく使われていて、道標の出発点にもなる。私が真っ先にこの観徳亭を訪ねたのは、実に真っ当なことであった。おかげで、観徳亭の両脇に対で目立ちながら立っていたトルハルバンにも出会うことができた。
このトルハルバンは、済州島を案内するパンフレットにかならず登場するし、土産品のパッケージへの露出度も多い。今や済州島を象徴する文化財として島でナンバーワンの人気を誇っている。
果たして、この像の実体は何なのか。
まず、言葉の意味から。「トル」は石で、「ハルバン」はハラボジ(おじいさん)の済州方言である。「石のおじいさん」というわけなのだが、この言葉が使われるようになったのはまだ最近のことだ。かつては「翁仲石」などと堅っ苦しく呼ばれたりもして、名称がまったく統一されていなかった。
そこで、1971年に済州道文化財委員会がトルハルバンという親しみやすい名を新たに作り、それを普及させて今に至っている。
もともとトルハルバンは、島内の重要な施設の前に設けられていたものだ。たとえば、済州島は約500年間(1416~1914年)、行政区域が済州牧、大静県、族義県の3つに分割されていたが、それぞれの都邑の城門前に対で建てられていたものがトルハルバンだった。
トルハルバンは、それぞれ多少の造形上の違いはあっても、基本の形は変わらない。目と鼻と口が異様に大きくて、表情は複雑怪奇。怒っているのか笑っているのか見当がつかないほどだ。
さらに、慢性的な胃弱に苦しんでいるかのように手を腹に当てていて、何かペーソスを感じさせる。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)