朝鮮戦争はどんな戦争だったのか(現代史編)

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1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾して降伏した。その日は、朝鮮半島が1910年以来の植民地支配から解放された日になった。独立運動を主導した有力者たちによって建国の準備が進んだが、結局は北緯38度線を境界として「南側にアメリカ軍、北側にソ連軍」という分割統治が始まった。朝鮮半島はアメリカとソ連による冷戦の影響をもろに受けてしまった。その結果、朝鮮半島の分断が固定化し、1948年には南側に大韓民国、北側に朝鮮民主主義人民共和国が誕生した。




悲劇の内戦が始まった

建国当初から、北朝鮮を率いる金日成(キム・イルソン)首相は、祖国統一を第一の目標にすることを宣言していた。
その統一を武力でめざした金日成首相は、ソ連のスターリン、中国の毛沢東という2人の最高指導者を訪ね、武力統一の了解を取り付けた。
1950年6月25日、北朝鮮の軍隊が攻撃を開始して朝鮮戦争が勃発した。
すでに前年にアメリカ軍は撤退していた。満足に戦車を持っていなかった韓国軍に対し、北朝鮮軍はソ連製の最新鋭の戦車を多数保有していた。
武力でまさる北朝鮮軍は連戦連勝でソウルに迫った。不意をつかれたとはいえ、韓国の李承晩(イ・スンマン)大統領は北朝鮮からの侵攻にまったく備えていなかった。
共産陣営が勢いを得ることを恐れたトルーマン大統領は6月27日にアメリカ軍を朝鮮半島に派兵することを決定した。しかし、北朝鮮軍は翌日にはソウルを占領し、さらに快進撃を続けた。




7月7日、国連の安保理は、派兵する加盟国軍をアメリカの指揮下に置いて国連軍にすることを可決した。ソ連は欠席した。
それでも北朝鮮軍の勢いは止まらず、ついに韓国領土のほとんどを制圧。残るは釜山(プサン)周辺の狭い一角のみとなった。
(ページ2に続く)

〔総集編〕韓国はなぜ日本の植民地になったのか

韓国は日本の植民地時代をどう生きたのか(前編)

韓国はなぜ分断国家になったのか

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