日韓の二千年の歴史29/植民地統治の後期

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思想的に朝鮮民衆を日本に同化させる政策も大々的に進められた。1925年10月15日には、京城(ソウル)に朝鮮神宮が竣工した。祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)と明治天皇だった。




独立運動

朝鮮総督府が朝鮮神宮を造営したのは、天皇崇拝を朝鮮半島に浸透させるためだった。その目的に沿って、朝鮮半島各地に60余の神社が建てられた。これを手始めとして皇民化政策が次々に打ち出されていく。
1926年には、朝鮮王朝最後の王だった純宗(スンジョン)が世を去った。その国葬が行なわれたのは6月10日だったが、「独立万歳」「日帝打倒」を訴える学生たちと日本の官憲が衝突した。
どんなに植民地統治の懐柔策が出されても示威活動はなくならない。むしろ、1929年には、光州(クァンジュ)で日本人学生が朝鮮の女学生を侮辱したことがきっかけで激しい抗日運動が起き、3・1独立運動以来の規模に拡大している。
デモだけでなく、独立をめざす民族主義者たちの闘争も活発だった。
上海に大韓民国臨時政府が組織され、朝鮮半島の外でも独立運動が行なわれた。しかし、大衆の広範な支持を集められなかったことが致命的だった。内紛が多かったことも組織の拡大につながらず、結局は朝鮮総督府に脅威を与えることはできなかった。




また、朝鮮半島北部ではパルチザン活動が局地的に行なわれていた。その中で特に名を馳せたのが金日成(キム・イルソン)であった。
一方、1937年7月に日本と中国が全面戦争に入り、植民地としての朝鮮半島の重要性が増した。特に、戦争の激化にともなって軍需に不可欠な鉱物資源の採掘が朝鮮半島の各地で積極的に行なわれた。
さらに、朝鮮民衆の皇民化が徹底された。そこには、来るべきときの軍事要員として活用しようという日本の意図もあった。
(ページ2に続く)

日韓の二千年の歴史28/植民地統治の前期

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