日韓の二千年の歴史29/植民地統治の後期

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植民地支配の終焉

朝鮮総督府は1939年12月に「朝鮮民事令改正」を交付し、1940年8月10日を期限として朝鮮民衆が日本式の名前に改めることを強制した。いわゆる「創氏改名」てある。朝鮮総督府は全土の官憲を動員して、路上や列車内で人々を尋問して創氏改名の実施状況を調べた。
創氏改名を行なわない人に対しては、子供の入学不可、役所での事務受付拒否、公的機関への採用禁止という厳しい罰則が設けられた。
抵抗運動も起こり、当時の南太郎総督の名をもじって「南太郎」と改名する人たちもいた。朝鮮民衆にとって「姓」は一族の誇りを示す象徴。それを強引に変えさせられるというのは、自尊心を著しく傷つけられることであった。
1941年12月、日本はアメリカと戦争状態に突入した。戦局の悪化にともなって朝鮮民衆の大動員計画が練られ、多くの人たちが日本国内の炭鉱や軍需工場で強制的に働かされたり、兵士として戦場に駆り出された。




男性ばかりではなかった。女性も女子梃身隊という名で集められた。その中には従軍慰安婦として戦場に送られた女性もいた。
日本の敗色が濃くなればなるほど、戦時下で動員された朝鮮民衆の運命は苛酷にならざるをえなかった。そんな日々にも、やがて終わりがあった。
1945年8月15日、日本の敗戦は朝鮮半島の解放を意味していた。日本の植民地支配が終焉し、朝鮮民衆は35年ぶりに自尊心を取り戻した。
(次回に続く)

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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