朝鮮王朝を苦しめた「後金」とは何か

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丁卯胡乱

1623年に光海君はクーデターによって王宮を追われ、代わって16代王・仁祖(インジョ)が即位した。
彼は後金を蛮族と蔑(さげす)み、明に肩入れする政策を取った。
怒った後金は1627年に攻め込んできて、朝鮮王朝は窮地に立たされた。やむをえず、朝廷を都の漢陽(ハニャン)から江華島(カンファド)に移さなければならない事態になってしまった。




歴史的には「丁卯胡乱(チョンミョホラン)」と呼ばれる。
このとき、朝鮮王朝は「後金と兄弟の関係を保つ」という条件で、なんとか和睦に持ち込むことができた。
しかし、仁祖は約束を守らなかった。
光海君と比べて、外交政策があまりに稚拙だった。
(ページ3に続く)

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