『七日の王妃』主人公の端敬(タンギョン)王后!離縁後の人生は?/2018アクセス順位5位

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端敬王后について紹介している『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(康熙奉〔カン・ヒボン〕著/実業之日本社発行)

初志貫徹ができない王

中宗は妻の端敬王后を心から愛していた。離縁などできるはずがない。しかし、高官たちは執拗に離縁を迫ってきた。
それには理由があった。
端敬王后の父親は燕山君の一番の側近であった。また、燕山君の妻は端敬王后の叔母だったのだ。
このように、端敬王后の身内には燕山君と深い関係の人が多かった。
高官たちは、燕山君一派の残党たちが端敬王后をかついで復讐をしかけてくることを警戒した。つまり、端敬王后が王妃の座にいると困るのだ。




当初は拒絶していた中宗だったが、それも長続きしなかった。
彼はクーデターを成功させた高官たちに、からっきし頭が上がらなかった。
ついに、中宗は高官たちの要求を呑まざるをえなくなってしまった。
それほど、中宗は初志貫徹ができない王であった。
端敬王后が王宮を去ったあと、中宗は悲しみにくれて、王宮の高い場所にひんぱんに上がっていった。端敬王后が住むあたりをながめるためだった。
そのことが都で話題になった。
(ページ3に続く)

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