離縁された王妃
張禧嬪は、もともと宮中に女官でやってきた女性で、かなりの美貌の持ち主だった。粛宗は彼女に一目惚れするが、母親の明聖王后は、「いつかわざわいを起こすに違いない」と決めつけて、張禧嬪を王宮から追い出してしまう。その後、1683年に明聖王后が亡くなると、粛宗の正妻である仁顕(イニョン)王后が張禧嬪を王宮へ呼び戻した。
王宮に戻ってくることができた張禧嬪は、恩人である仁顕王后にお礼を言わずにわがままに振る舞い始めた。その後、さらに仁顕王后の立場が不利になることが起きる。1688年に、張禧嬪が粛宗の息子を産んだのである。
自分の後継ぎとなる息子がいないことに悩んでいた粛宗は、それを大変喜び、さっそくその息子を元子(ウォンジャ/世子の筆頭候補)に指名しようとした。しかし、そのことに対して、高官たちは反対した。なぜなら、仁顕王后はまだ若くて子供を産む可能性があったからだ。それでも粛宗は意見を変えなかった。
王の息子を産んだことで有利な立場になった張禧嬪。粛宗は、彼女にしつこく頼まれて仁顕王后を廃妃にしてしまう。もちろん、このときも大きな反対が起こったが、粛宗はそれをすべて無視した。
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張禧嬪(チャン・ヒビン)はワガママ粛宗(スクチョン)の犠牲者の1人!
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