誠信外交
国書偽造事件は対馬藩の存亡に関わる重大な危機だったが、かえって対馬藩の地位を強固にする結果をもたらした。対馬藩は、朝鮮貿易独占のお墨付きを幕府から得た。それらは、手間のかかる外交実務を行なう見返りとして与えられた「とっておきのご褒美」と言えた。
こうした中で、対馬と朝鮮王朝との交流をさらに円滑に進める人物が登場する。雨森芳洲である。
22歳で対馬藩の儒臣として仕えた芳洲は、以後88歳で没するまで、対馬藩の政治・経済・外交・文教の各方面に多大な貢献をし、朝鮮王朝との交流においても中心的役割を果たした。
中でも、2回の朝鮮通信使来日において、芳洲は対馬藩真文役として使節に随行し、接待役として獅子奮迅の働きをしている。
芳洲は、朝鮮王朝との関係には徹底した善隣外交が必要であることを常に強調した。「誠信と申し候ハ、実意と申す事ニて、互いに欺かず、争わず、真実を以て交り候を、誠信とは申し候」という「誠信外交」を説いた。
儒学者として大義名分論を重んじた芳洲は、朝鮮王朝との交流においても、「理」をもって接する姿勢をいささかも変えていない。両国の慣習や文化の違いを認識して、相手を尊重しながら交渉を続ける……この「誠信外交」が日朝関係の友好に貢献した(第4回に続く)。
文=康 熙奉(カン ヒボン)