光海君(クァンヘグン)が王になった特殊な理由とは?

このエントリーをはてなブックマークに追加

 

朝鮮王朝の14代王・宣祖(ソンジョ)には14人も息子がいた。しかし、当初は側室が産んだ王子たちばかりだった。その中で、長男が臨海君(イメグン)で、二男が光海君(クァンヘグン)である。




捕虜になった臨海君

臨海君と光海君は、宣祖の側室だった恭嬪(コンビン)・金氏(キムシ)の息子であった。2人は嫡子ではなかったので、本来なら王位継承者から除外されるところだが、宣祖の正室から王子が生まれなかったので、結局は王位を継げる立場になった。
朝鮮王朝は、原則的に長男が王家を継ぐことになっている。順番で言うと臨海君が世子(セジャ)の筆頭候補だった。
しかし、高官たちの間で、さまざまな駆け引きがあった。
特に、臨海君は性格が粗暴だということで、評価が高くなかった。
さらに、臨海君は王位継承の資格を失う決定的なことが起こしてしまう。その背景を見てみよう。
1592年に朝鮮出兵が始まると、宣祖の息子たちも国の危機を救うために、自ら積極的に戦地に行く覚悟を持っていた。
臨海君と光海君も朝鮮半島の地方に出かけて、義兵を募ってゲリラ戦を展開する任務を帯びた。




しかし、臨海君は加藤清正の軍勢の捕虜になってしまった。その結果、臨海君は加藤清正軍が転戦する度に引っ張りまわされ、さらには、和睦交渉の材料にまでされてしまった。これは臨海君にとって最大の屈辱だった。
(ページ2に続く)

光海君(クァンヘグン)!再評価される暴君

金介屎(キム・ゲシ)!光海君(クァンヘグン)の裏で暗躍した女官

光海君(クァンヘグン)の正体!朝鮮王朝15代王の功罪

光海君(クァンヘグン)の末路!彼は王宮を追放された後にどうなった?

光海君(クァンヘグン)の即位/朝鮮王朝歴史全集9

仁穆(インモク)王后はどうしても光海君(クァンヘグン)を斬首にしたかった!

固定ページ:

1

2

必読!「ヒボン式かんたんハングル」

「韓流ライフ」というジャンルの中に、「ヒボン式かんたんハングル」というコーナーがあります。ここには、日本語と韓国語の似ている部分を覚えながら韓国語をわかりやすくマスターしていく記事がたくさん掲載されています。日本語と韓国語には共通点が多いので、それを生かして韓国語の習得をめざすほうが有利なのです。ぜひお読みください。

ページ上部へ戻る