少子化の真逆!王建(ワン・ゴン)には25人の王子がいた?

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高麗王朝では重婚が許されていた

王建がそれほど政略結婚を繰り返したのは、地方に割拠する豪族たちを懐柔するためであった。
なにしろ、王建が活躍した時代には各地で群雄割拠する勢力が多く残っていて、彼は地方の豪族の支持を得なければならなかった。そこで王建は、結婚を通して各地の豪族と縁戚関係を結び、それによって自分の支持者を増やしていったのである。
とはいえ、王建の場合は政略結婚の度が過ぎていた。結果的に、王子があまりに多くなって王位継承問題が混乱する元凶になってしまった。




一例を挙げよう。ドラマ『千秋太后』の主人公にもなっていた千秋(チョンチュ)太后(964~1029年)は王建の孫にあたるのだが、彼女は高麗王朝の5代王・景宗(キョンジョン)の妃であると同時に、6代王・成宗(ソンジョン)の妹であり、7代王・穆宗(モクジョン)の母であり、8代王・顕宗(ヒョンジョン)のおばである。つまり、高麗王朝初期の歴代王とことごとく血がつながってしまったのだ。
こうした極端な例が生まれたのも、千秋太后の祖父であった王建があまりに夫人と子供を抱えすぎたためであった。
こんな王建が創設者であるだけに、高麗王朝では重婚が許されていた。後の朝鮮王朝は一夫一婦制だったので、この点ではまったく違っていた。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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