歴史上で非難を浴びたくない
仁祖としても、追放した王の首をはねることは絶対にできなかった。
彼は、クーデターの大義名分すら確立させていないのに、仮にも頂点に君臨した先王を斬首にしたら、王位継承の正統性を得ることは絶対にできないと考えた。
しかも、新しい王が先王を斬首したら、朝鮮王朝の歴史が続くかぎり、大きな非難を浴びることは明白だった。
仁穆王后の「光海君を斬首せよ」という主張は執拗だったが、最後まで仁祖はその言葉に従わなかった。
それは、あくまでも自分の評判を悪くしないためだった。決して光海君の身を案じたわけではなかったのだ。
結果的に、光海君は18年後に流罪先の済州島(チェジュド)で世を去った。66歳まで生きられたのは、仁祖が光海君を斬首にしなかったからである。
それでも、歴史上で仁祖の評判はとても悪い。悪政によって朝鮮王朝を困難に陥れたからだ。
「もし光海君が王宮から追放されなければ……」
少なくとも、朝鮮王朝の政治は仁祖の統治よりずっと良かったことだろう。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人2世。韓国の歴史や日韓関係を描いた著作が多い。韓流雑誌の編集長も10年間務めた。近刊は『朝鮮王朝と現代韓国の悪女列伝』(双葉社発行)