広大な土地を所有
クーデターで王位を奪っているだけに、王朝の正統性という面で仁祖にも弱みがあった。その点、14代王・宣祖の正室が産んだ王女の婚礼を執り行なうというのは、仁祖にとっても大いに大義名分が立つ慶事であった。
なお、朝鮮王朝時代には、王子であれ王女であれ結婚すれば、世子(セジャ/王の正式な後継者)を除いてすべて王宮の外に出て住むしきたりがあった。
この場合、王室は王の子供たちが王宮の外で幸せに暮らせるように、相応の屋敷と土地を用意した。
しかし、貞明公主に与えられた屋敷と土地は破格だった。
貞明公主と洪柱元が住む屋敷は、王宮の昌徳宮(チャンドックン)にとても近く、敷地も広かった。
それだけではない。
貞明公主は屋敷とは別に、地方に広大な土地も与えられた。
「いつまでも、この幸せが続くように……」
仁穆王后はそう願いながら、1632年に世を去った。
享年48歳だった。
以後、貞明公主と洪柱元の夫婦は激動の時代をお互いに助け合って生きた。(ページ4に続く)
貞明(チョンミョン)公主/朝鮮王朝美女物語6
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