[再掲載]『華政』歴史背景!光海君(クァンヘグン)と仁穆(インモク)王后の対立

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韓国時代劇『華政』の歴史的な背景を見てみよう。光海君と仁穆王后の対立は、なぜ起こったのだろうか。そこには、厳しい王位継承問題がからんでいた。

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側室から生まれた2人の王子

14代王・宣祖(ソンジョ)は異質な王であった。
それ以前の13人の王が嫡子(王の正室が産んだ王子)の系統であるのに対し、宣祖は王の庶子(王の側室が産んだ王子)の系統であった。
具体的に言うと、宣祖は11代王・中宗(チュンジョン)の側室が産んだ王子の子供なのである。




自分が庶子の系統であったので、宣祖は世子(セジャ/王の正式な後継者)をぜひ嫡子にしたいと願っていた。
しかし、宣祖の正室であった懿仁(ウィイン)王后には子供ができなかった。
仕方がないので、宣祖は側室の恭嬪(コンピン)・金(キム)氏が産んだ2人の王子……長男の臨海君(イメグン)と二男の光海君に期待せざるをえなかった。(ページ2に続く)

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