仁穆王后との対立
15代王として即位した光海君だが、そのことに対して金介屎はこう思っていた。
「永昌大君が生きている限り、殿下の地位は安定しない」
1613年、金介屎が永昌大君を排除するための口実を探していた際に、名門出身の庶子たちが起こした強盗殺人事件が起こる。
朝鮮王朝時代には厳しい身分制度があり、たとえ名門出身だとしても庶子は差別の対象となった。
そんな鬱憤(うっぷん)を晴らすために集まって酒を飲みながら騒いでいた7人の行動を、周りの者たちは不快に思っていた。そのときに強盗殺人事件が近くで起きたため、7人は容疑者として疑われてしまう。
それを知った金介屎は、「命を助けてやるから、こちらの言う通りにしろ」と7人の庶子に持ちかけて彼らの了承を得た。すると、その中の1人である朴応犀(パク・ウンソ)は、「武器や食糧を集めているのは大きなことを成し遂げるためです」と語り、仁穆王后の父親が永昌大君を王にしようと企んでいることを話した。
しかし、それは朴応犀が命欲しさに語った嘘だが、高官たちは彼の言葉を信じた。それくらい金介屎のたくらみは用意周到だった。
結果、仁穆王后の父親は処刑され、母親も最下層の身分である奴婢となる。当然、その影響は仁穆王后と永昌大君にも及ぶ。
仁穆王后は、自分の息子の永昌大君を何としてでも守ろうとして強く抱きしめるが、金介屎は腕力の強い女性を10人ほど集めて2人を強引に離れさせた。その後、永昌大君は江華島(カンファド)に流され、そこで金介屎の放った刺客によって殺された。
家族が悲劇に見舞われて絶望した仁穆王后は、西宮(ソグン/現在の徳寿宮〔トクスグン〕)に幽閉された。(ページ3に続く)
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