仁祖(インジョ)の生涯2!綾陽君(ヌンヤングン)の即位

このエントリーをはてなブックマークに追加

不可解な急死

帰国してわずか2カ月後のことだった。
1645年4月23日、昭顕は高熱を発して重病になった。
すぐに治療が行なわれたが、その甲斐もなく、昭顕は4月26日に世を去った。
最愛の長男の急死に慟哭(どうこく)する仁祖……それが普通の姿だが、このときの仁祖は違った。




昭顕の葬儀を信じられないくらいに簡単に済ませてしまったのだ。
王の正式な後継者である世子が亡くなったのである。本来なら国王に次ぐ格式で葬儀が行なわれなければならないのだが、仁祖は葬儀の格を徹底的に下げてしまった。
それだけではない。
朝鮮王朝の正統的な王位継承権は世子の息子たちに引き継がれていくはずなのに、仁祖は原則を無視して、自分の二男の鳳林を世子に指名しようとした。(ページ4に続く)

貞明(チョンミョン)公主の生涯1!『華政』(ファジョン)の主人公

朝鮮王朝おもしろ人物列伝(16代王・仁祖編)

朝鮮王朝おどろき国王列伝3/仁祖〔インジョ〕

綾陽君(ヌンヤングン)とは誰なのか?『華政(ファジョン)』の登場人物

ページ:
1 2

3

4

関連記事

  1. 光海君(クァンヘグン)と臨海君(イメグン)!兄弟同士の骨肉の争い

  2. 光海君と仁祖のライバル物語5「失政」(歴史編)

  3. 人質から帰った昭顕世子を仁祖はどう迎えた?

  4. 光海君の末路!廃位になった後どうなった?(歴史編)

  5. 仁祖(インジョ)の生涯1!綾陽君(ヌンヤングン)の即位

  6. 康熙奉(カン・ヒボン)が語る「仁祖(インジョ)の功罪」(前編)

  7. 『華政(ファジョン)』に登場!光海君(クァンヘグン)の実像〔第2回〕

  8. 『華政(ファジョン)』解説!仁穆(インモク)王后に恨まれた光海君(クァンヘグン)

  9. 仁祖(インジョ)の屈辱を象徴する三田渡(サムジョンド)の碑!

PAGE TOP