『朝鮮王朝実録』を読んでいくと、光海君に対してひどい蔑称を使っていて、光海君を悪者にしようという意図が露骨に見えます。果たして、光海君は本当に、単純な暴君だったのでしょうか。
光海君を追放する号令
燕山君(ヨンサングン)を追放した1506年の「中宗反正(チュンジョンパンジョン)」は、暴政を終わらせたという意味において、本当の「反正」であることに間違いありません。
しかし、仁祖(インジョ)は、悪い政治を正すというより個人的な恨みを晴らすために決起しました。光海君の一派によって殺された弟の復讐がクーデターの目的だったのです。つまり、事情は個人的であり、大義はありませんでした。
仁祖にも後ろめたい気持ちがあったのでしょう。クーデターを起こしたとき、西宮(ソグン)に幽閉されていた仁穆(インモク)王后をかつぎだそうとしました。そこで、仁祖は使者を送って仁穆王后に「光海君を追放する号令を出してください」と頼みます。(ページ2に続く)